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一乗谷朝倉館跡(福井県福井市)訪問
金沢在住の友人に会いに行った帰りに、一乗谷朝倉館跡(福井県福井市)へ立ち寄ってみました。実は、以前一度ここを訪れたことがあったのですが、その時は時間がなくて駆け足でしか見ることができなかったので、もう一度余裕を持って訪問してみたいと思っていたのです。

福井ICで高速を降りて一般道を南東へ20分ほど進み、右折した後、足羽川の支流である一乗谷川に沿って細い道を進んでいくと特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡へ到着します。
この地は、戦国時代に朝倉氏5代が100年の長きに渡って治め、最盛期には1万人の人口を抱える日本有数の城郭都市としてその名を馳せました。また応仁の乱を逃れるため京都から一乗谷に移ってきた公家や僧侶、文化人たちが華やかな京文化をもたらし、一乗谷は北ノ京と呼ばれるほどの栄華を誇ることになります。しかし、織田信長により朝倉氏が滅ぼされると一乗谷は、柴田勝家によって火が放たれ、三日三晩燃え続けた一乗谷の城下町はすっかり灰燼へと帰してしまいました。その後柴田勝家が北の庄に築城を始めると、焼け野原となった一乗谷は見捨てられ、朝倉氏五代の城下町は、さながらボンベイの町のごとくそっくり土に埋もれて行くことになりました。
それから400年後の昭和43年に発掘調査が開始され、次々にその栄華の跡が明らかにされていくと、平成3年には、諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園の4つの遺跡が、国の特別名勝に指定され、その城下町跡には家屋が再現されることになりました。(現在でも発掘調査は続いています。)
一乗谷の史跡を道に沿って奥に進んでいくと右側に駐車場が見えたので、そこへ車を止めました。
車から降りて、周りを見渡すと、山間に囲まれた平地に桜の木が点在し、その満開の花が良いアクセントになって非常に美しい光景でした。


駐車場の近くに再現街並みの入口があったので、入場料を払い入ってみました。


再現された街は、道路を挟んで左側が武家屋敷、右側が庶民の建家となっており、再現された家屋の中には家具類も置かれ当時の生活を偲べるようになっていました。また、家屋の庭先には桜の木も植えられており風情をより楽しめました。






武家屋敷の方は建家の再建はありませんでしたが、その一角に桜の大樹があり、満開の桜が見事でした。

再現町並みを出て、朝倉邸の方へ歩いていくと、朝倉邸の顔とも言える"唐門"が見えてきます。
この唐門は当時の遺構ではなく、後に建てられていた松雲院の寺門として豊臣秀吉が義景の菩提を弔うために寄進したものとのこと。


この唐門をくぐると、目の前に広大な朝倉館跡が広がります。朝倉館背後の丘を登ると、館跡全体を見下ろすことができます。


写真下方に水をたたえた庭園跡が見え、その左上方の四角く囲われた場所は、日本最古の花壇機構とのこと。"北の京"と呼ばれるに相応しい風情ですね。

視線を、少し奥へ移すと先ほどくぐってきた唐門が見えます。本当に広大な敷地ですね。

先ほど登った館背後の丘を進むと、"湯殿跡庭園"へ出ます。今は水も枯れていますが、力強い石の並びから当時の豪放な景観を偲ぶことができます。


湯殿跡庭園を出た後、ゆっくりと史跡を散策してみました。






朝倉館から少し歩いていくと、"諏訪館跡庭園"へ出ます。

この庭園はこの史跡の中で最も大規模なもので、大きな立石と、それを覆う大きな楓の枯木の間を滝組を通って今も水が池へ流れ落ち豊かな風情を保っています。


諏訪館跡庭園を離れた後も散策を続けましたが、日も大分傾いてきたので一乗谷史跡を後にすることにしました。




本史跡は、まだまだ発掘が続いており、是非再度訪れてみたいと思っています。


福井ICで高速を降りて一般道を南東へ20分ほど進み、右折した後、足羽川の支流である一乗谷川に沿って細い道を進んでいくと特別史跡一乗谷朝倉氏遺跡へ到着します。
この地は、戦国時代に朝倉氏5代が100年の長きに渡って治め、最盛期には1万人の人口を抱える日本有数の城郭都市としてその名を馳せました。また応仁の乱を逃れるため京都から一乗谷に移ってきた公家や僧侶、文化人たちが華やかな京文化をもたらし、一乗谷は北ノ京と呼ばれるほどの栄華を誇ることになります。しかし、織田信長により朝倉氏が滅ぼされると一乗谷は、柴田勝家によって火が放たれ、三日三晩燃え続けた一乗谷の城下町はすっかり灰燼へと帰してしまいました。その後柴田勝家が北の庄に築城を始めると、焼け野原となった一乗谷は見捨てられ、朝倉氏五代の城下町は、さながらボンベイの町のごとくそっくり土に埋もれて行くことになりました。
それから400年後の昭和43年に発掘調査が開始され、次々にその栄華の跡が明らかにされていくと、平成3年には、諏訪館跡庭園、湯殿跡庭園、館跡庭園、南陽寺跡庭園の4つの遺跡が、国の特別名勝に指定され、その城下町跡には家屋が再現されることになりました。(現在でも発掘調査は続いています。)
一乗谷の史跡を道に沿って奥に進んでいくと右側に駐車場が見えたので、そこへ車を止めました。
車から降りて、周りを見渡すと、山間に囲まれた平地に桜の木が点在し、その満開の花が良いアクセントになって非常に美しい光景でした。


駐車場の近くに再現街並みの入口があったので、入場料を払い入ってみました。


再現された街は、道路を挟んで左側が武家屋敷、右側が庶民の建家となっており、再現された家屋の中には家具類も置かれ当時の生活を偲べるようになっていました。また、家屋の庭先には桜の木も植えられており風情をより楽しめました。






武家屋敷の方は建家の再建はありませんでしたが、その一角に桜の大樹があり、満開の桜が見事でした。

再現町並みを出て、朝倉邸の方へ歩いていくと、朝倉邸の顔とも言える"唐門"が見えてきます。
この唐門は当時の遺構ではなく、後に建てられていた松雲院の寺門として豊臣秀吉が義景の菩提を弔うために寄進したものとのこと。


この唐門をくぐると、目の前に広大な朝倉館跡が広がります。朝倉館背後の丘を登ると、館跡全体を見下ろすことができます。


写真下方に水をたたえた庭園跡が見え、その左上方の四角く囲われた場所は、日本最古の花壇機構とのこと。"北の京"と呼ばれるに相応しい風情ですね。

視線を、少し奥へ移すと先ほどくぐってきた唐門が見えます。本当に広大な敷地ですね。

先ほど登った館背後の丘を進むと、"湯殿跡庭園"へ出ます。今は水も枯れていますが、力強い石の並びから当時の豪放な景観を偲ぶことができます。


湯殿跡庭園を出た後、ゆっくりと史跡を散策してみました。






朝倉館から少し歩いていくと、"諏訪館跡庭園"へ出ます。

この庭園はこの史跡の中で最も大規模なもので、大きな立石と、それを覆う大きな楓の枯木の間を滝組を通って今も水が池へ流れ落ち豊かな風情を保っています。


諏訪館跡庭園を離れた後も散策を続けましたが、日も大分傾いてきたので一乗谷史跡を後にすることにしました。




本史跡は、まだまだ発掘が続いており、是非再度訪れてみたいと思っています。

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