Aiuto!の穴

英語の勉強とアニメの感想や日々気になることの日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

信州・北陸100名城巡り(その②)

今週からついに新しい装置の据付が始まってしまいました。
自分が今年立てた目標は、この据付が自分にとって最後の大きな仕事になりそうなので、英語の勉強を据付工事が始まる前に眼一杯行うというものでしたが、工事が半年前倒しになったとはいえ、殆ど勉強しないうちに工事が始まってしまったのは痛恨の至りです。まぁ、嘆いていても仕方がないので、とにかく英語の勉強を始めるつもりです。ただ、現場の仕事が始まると、現場仕事の後に事務所に戻ってメール等のドキュメントワークを行うことになるので、帰宅が深夜か翌日になってしまう日々が続いてしまい平日は殆ど勉強できないというのが、今までのパターンで、今回もそうなることはほぼ間違いなさそうです...

このような状況なので、今後半年ほどはどこかへ出かけることも難しくなりそうですから、先月末に行った旅行については、この記事で何とかまとめておきたいと思います。

先月末の4日間の旅行の最終日は、金沢で友人と落ち合い、福井の朝倉館と永平寺を見てきました。前回は記事が長くなりすぎたので、今回は写真中心に紹介したいと思います。


1.一乗谷城(朝倉氏館跡)訪問
ここを訪れるのは、今回で3回目となります。同じお城を訪問するのは、恐らく熊本城に次ぐ訪問回数の多さになると思いますが、熊本城と異なり、ここには目立つような建物は殆ど何もありません。ただ、山間の谷間に突如人工的な平野部が現れて、そこは明らかに人の手が入ったように見えるのに、ガランとして殆ど建物が無いと言うところに独特の寂寥感のようなものを感じて個人的にものすごく気に入っているのです。

400年前、ここは越前朝倉氏5代の中心地として、多いときで1万人の人口を抱え、また応仁の乱から逃げてきた公家や僧侶たちからもたらされた華やかな京文化とも相まって、北の京と呼ばれるほどの栄華を誇りました。しかし、5代義景は織田信長との戦いに敗れ、先鋒として乗り込んできた柴田勝家の放火によって一乗谷の町は三日三晩燃え続け、100年続いた一乗谷の栄華は灰燼と帰してしまったのです。
81306024005504.jpg
上空から見た一乗谷。
     img382.jpg
当時の一乗谷の再現図。

燃え落ちてしまった後の一乗谷は、その後人が住むこともなく見捨てられ、さながらボンベイの遺跡のごとく土に埋もれ忘れ去られていきました。しかし、それから400年後の昭和43年(1968)から発掘調査が始まり、現在の遺跡の形に整えられて来ました。

DSC08898.jpg
山間部に切り開かれた平らな土地。ここにかつて町があったことを伺わせます。
DSC08894.jpg
遠くに見える朝倉館前の唐門。

1)朝倉氏館跡
DSC08905.jpg
この唐門は、当時の遺構ではなく、後年、朝倉義景の菩提を弔うため、豊臣秀吉が寄進したと言われています。

DSC08908.jpg
唐門を潜り中へ入ると朝倉氏館跡の基礎が広がっています。
DSC08915.jpg
基礎の奥には、滝石組、護岸石組を持つ庭園跡があります。この庭園は完全に埋没していましたが、昭和43年の館跡の調査で発掘されました。
DSC08916.jpg
背後の山腹から見た朝倉氏館跡。中央に四角く区切られ樹が生えている部分は花壇であったと言われています。

2)湯殿跡庭園
DSC08923.jpg
館跡を見下ろす山腹にある湯殿跡庭園。朝倉氏遺跡の中にある3つの庭園の中で、一番荒々しい石組を持った庭園です。現在、水は枯れてしまっていますが水路が山際に沿って南から北に走り滝口に注ぐ池泉庭園となっています。

3)諏訪館跡庭園
諏訪館は朝倉義景の妻「小少将」の屋敷跡と言われています。庭園は遺跡の中でも最も規模の大きな、廻遊式林泉庭園です。
DSC08941.jpg
中心の巨石とそれに並ぶ古木、その間を流れる水路のバランスがとてもよく、安定感があります。

DSC08924.jpgDSC08947.jpg

4)再現された街並み
特筆すべきは、ここに一乗谷の街並みが再現されていることです。江戸時代の街並みや武家屋敷ならば各地にまだ残っているところもありますが、中世の民家及び武家の屋敷が再現されているところはあまり無いと思います。
DSC08954.jpg
街並みの雰囲気も中々です。
DSC08955.jpgDSC08957.jpg
内部は、このような人形を置いて再現しています。

DSC08962.jpgDSC08964.jpg
大規模屋敷の跡地。あちらこちらに桜の大樹があります。春になると桜の花が満開に咲いてとても綺麗です。

DSC08976.jpgDSC08980.jpg

今回、直前に訪問した永平寺で時間をかなり取ってしまったので、朝倉氏館を見る時間をあまり取れませんでした。次回は、もっと余裕を持ってゆっくり観て廻りたいですね。また、朝倉氏館の背後にある一乗山城にも、今後是非登城してみたいと思っています。

PS.
再現街並みの入り口に、一乗谷へ大河ドラマを誘致しようとのポスターが張ってありました。気がつくと、売店の中等、結構色々な場所にこのポスターが張ってありました。ですので、地元でこの誘致運動が盛り上がっているのかと、再現街並みの中にいた地元の方らしき人に、この誘致運動のことを尋ねてみたところ、”無理でしょ。だって地味だし、最後に滅んじゃったし”とあっさり返されてちょっと笑ってしまいました。いや、全くその通り。
このところ、アニメを町おこしに使おうとする町が多くなったことを時々ニュースで聞くようになりました。でも、中には作品の中身をろくに観ないでアニメを使おうとする町もあるようで、そういうのは作品に対しても町に対しても失礼なのではないかと思うこともしばしばあったのですが、今回即答してくれた地元の方のように、ちゃんと作品の内容を予測して町おこしに使えるかどうかを冷静に判断する姿勢は、やっぱり必要だなと感じてしまいました。

2.永平寺訪問
一乗谷へ行く前に永平寺に寄って見ました。

永平寺は、福井県にある曹洞宗の寺院で、横浜にある總持寺と並んで日本の曹洞宗の大本山となっています。宗祖は、道元禅師。

現在でも曹洞宗の道場、修業の場であると同時に多くの観光客の訪れる場ともなっています。禅の道に興味をもった多くの外国からの修業者も訪れています。申し込むと、泊まりこみで,雲水の修業に近い生活を送る参篭や参禅,研修もさせてもらえ、永平寺客膳料理として本膳,二の膳の精進料理も食べられるとのこと。もちろん、今回は見学だけです。以下に、永平寺の写真を貼ってみました。
DSC08779.jpgDSC08787.jpgDSC08793.jpgDSC08802.jpgDSC08811.jpgDSC08819.jpgDSC08862.jpgDSC08844.jpgDSC08864.jpg

3.北陸で泊まった旅館
金沢では、相変わらず健康ランドの”テルメ金沢”に宿泊しましたので割愛して、上田で宿泊したホテルを紹介します。
・上田プラザホテル
DSC08580.jpg
上田駅から徒歩10分ほどの距離にある、普通のビジネスホテル。では、なぜここに宿泊を決めたかと言うと、一階に併設されている”めざまし食堂”の朝食が美味しいとNetに紹介してあったからです。
DSC08576.jpg
何の変哲も無い朝食。でも、見た目が普通なのに、本当に美味しかったです!別に高級じゃなくても普通に美味しい食事ってあるもんなんだなぁと実感してしまいました。まぁ、基本は普通の朝食なので、食べて感動するといった類の旨さでは無く、きちんとしたものを食べて体が健康になる気がするような美味しさ?です。あまり、ハードルを上げすぎるのも良くありませんからこの辺で止めておきますが、自分的にはここの朝食はお勧めですよ!

ホテルそのものは、若干古さが目立つので、新しくて機能的な感じのホテルを好む方は違うホテルを選んだほうが良いかも。しかし、多少古くても掃除は行き届いており、ロビーや階段にたくさんの本が設置されていて好感が持てました。
DSC08582.jpgDSC08584.jpg
こういう営業努力とても好きです。

4.北陸新幹線(&しなの鉄道)
今回初めて北陸新幹線に乗ってみました。
DSC08765.jpg
ちょっと驚いたのは、運行本数の少なさです。地元の名古屋駅からは、のぞみが10分に1本くらいの割合で発着しているので、同じようなものかと勘違いしていました。
今回、北陸新幹線の各駅停車タイプである"はくたか"を使って、東京~上田~金沢間を移動しましたが、はくたかは、1時間に1本くらいしかないので乗車時間を確認してから行動しないと、駅で無駄な電車待ち時間を過ごさなければならなくなる可能性があります。でも、それは人口的に利用者数が少無いので仕方ありませんね。
DSC08762.jpg
北陸新幹線が山間部を抜けて、日本海側の夕日が見れたときは結構感動してしまいました。

・しなの鉄道
DSC08752.jpg
しなの鉄道は、北陸新幹線高崎駅 - 長野駅間の先行開業に際し、JR東日本から並行在来線として経営移管されることとなった第三セクター鉄道です。第三セクター経営の路線はどこも経営難ですが、地方の足として必要な路線ばかりですので、何とか頑張って欲しいところです。
DSC08753.jpg
扉を自分で開閉するタイプです。
DSC08746.jpgDSC08659.jpg
小諸駅の駅舎。地方の駅舎は味があってとても好きです。ここにも"あの夏で待ってる"のポスターが貼ってありました。懐かしかったので以下にOPを貼って見ます。今回初めて気がついたのですが、OP映像の中に小諸城の場面がありました。

ついでに、EDも貼って見ます。ED曲"ビードロ模様"は、今では有名になってしまったやなぎなぎさんのデビュー曲です。

ここまで"あの夏で待ってる"を推しながら、実は途中で視聴を脱落しています(え...
OP/ED及び雰囲気は良かったのですが、話の内容がイマイチでした。本作は、次世代を担う事が期待される長井龍雪氏が監督を行いましたが、この頃から長井監督のPowerDownが始まったような気がします。


PS.オバマ大統領の広島訪問
自分が上田に宿泊した日は、調度オバマ大統領が広島を訪問した日で、宿泊後自分はずっとオバマ大統領の広島訪問のニュースに見入っていました。

自分は、あまりオバマ大統領という人を政治家的に信用していないところがあります。オバマ大統領の政治スタンスは、所謂リベラルと言うものなのでしょうが、理想を掲げながらも徹底的にリアリストでなければならない政治家というものに、自分の理想に重点を置いてしまうリベラリストという人たちは向いていないと自分は思っているのです。でも、この広島訪問は、そのリベラルなオバマ大統領だからこそ出来たことなのは間違いありません。その点は、オバマ大統領に感謝をしています。恐らく、オバマ大統領以外で広島を訪問する米国大統領は今後出てこないだろうと自分は思っています。

原子爆弾の投下は、広島で20万人、長崎で7万人の民間人を虐殺し、この2つの都市を一瞬で地獄に変えました。この27万人という膨大な人数の無差別な民間人虐殺は、明確な戦争犯罪であり、自分はこの行為を絶対に許すことが出来ません。しかし、直接の原爆被害者である日本被団協の田中事務局長が語った”被爆者に対しては謝罪をしてほしいという気持ちはありますが、それを強く求めることが核兵器をなくすことの障害になるのなら、ぐっと抑えて(オバマ大統領に)核兵器廃絶の先頭に立ってほしいという願いがある”の発言に含まれた核兵器根絶に対する強い思いは、多くの日本人の共通の願いでもあったと思います。そして、今回、日本政府はアメリカに謝罪を求めないことでオバマ大統領の広島訪問を実現させ、日本の右派も左派も、今回は互いによく沈黙を通し、政治的な発言を控えました。自分は、今回オバマ大統領の広島訪問が実現できて本当に良かったと思っています。

この広島訪問で、以下の映像や写真が繰り返し流されたのを覚えておられる方も多いと思います。
森重昭氏
このオバマ大統領と抱き合っている方はいったいどなたなのでしょうか。この方は、森重昭氏という普通の民間の方で、単独で広島城内にあった旧日本軍施設などで被爆し、亡くなった米兵捕虜12人の足跡を調査し見つけ出された方です。このことは、あまり日本で報道されなかったように思えます。毎日新聞では比較的詳しく紹介されましたが、朝日新聞では、極簡単に触れられただけでした。

自分も、Net上でイギリス人ジャーナリストのジュリアン・レイオール氏(英国デイリー・テレグラフ紙記者)が書かれたコラムの紹介記事を読んで初めて森重昭氏のことを知りました。

長いですが、このコラムの全文を掲載したいと思います。
(このコラムの全訳は、みずきの女子知韓宣言(´∀`*)様から頂きました。)

================================================
1945年8月6日に広島に投下された原爆によって亡くなった犠牲者の中には、12人の米軍捕虜も含まれていた。
アマチュア歴史家の「森重昭」(79歳)さんは、40年以上を捧げて被爆米兵の遺族全員を探した。
米国の映画監督のバリー・フレシェットは、その記録を「Paper Lanterns」というタイトルの映画で紹介した。

40年の間、森重昭さんは、広島原爆で犠牲になった14万人ほどの人々を含む被曝米軍兵士12人の記録の断片(パズル)を合わせていった。
2016年に79歳になった森さんは、本人も被爆被害者だ。
自らを顧みず献身してきた彼の偉業は、被爆米軍の犠牲者「ノーマン」と、学生時代に親しかった友人の甥(映画監督のバリー・フレシェット)に知られる前までは、世の中にまったく知られていなかった。

「森さんは40年もの歳月を注いで、被爆米軍の謎を解いてきました。アマチュア歴史家として史実を非常に重視している森さんにとって、仔細で詳細な歴史的な発見が非常に重要だったからです。12人の米軍飛行士に敬意を表して、人々の記憶を一つ一つたどって、遺族に対して何が起きたのかを知らせたかった森さんは、ついにその仕事をやり遂げたのです」とフレシェット監督は言った。

バリー・フレシェット監督と森さんが出会った運命は、監督が生まれるはるか前、米陸軍所属B24爆撃機のロンサム レディー号とトロア号が、別の2機の米海軍の戦闘機と共に、 1945年7月の終わりに日本巡洋艦を爆撃して撃墜された時点からすでに始まっていた。
撃墜された爆撃機の乗組員がすべて生き残ったのではなかった。
パラシュートで降下して日本に救助された13名は、近くの都市の広島の日本軍憲兵隊司令部に護送された。
その後、トーマス・カートライト中尉は尋問のために東京に移送された。
この分かれ道が、トーマス中尉の命を救うことになった。

1945年8月6日の朝8時15分に原爆が広島上空で爆発したとき、米軍捕虜が抑留されていた憲兵隊司令部は、爆心地から400メートルの距離だった。
9人の捕虜は即死した。
シアトル出身の「ヒュー・アトキンス」軍曹は奇跡的に生き残ったが、次の日に放射能の症状で死亡した。
残りの二人の「ラルフ・リール」軍曹と「ノーマン」上等兵は、原爆が600メートル上空で爆発する直前に、尋問を受けるために憲兵隊からやや離れた場所に移送された。
しかし二人もまた、原爆の影響から完全に逃れることはできなかった。
日本人医師からの応急処置と治療を受けたが、13日後に放射線症状で死亡することになって、日本の憲兵隊員によって葬儀が行われた。
8月9日、第二の原爆が長崎に投下されて、日本は8月15日に降伏した。

1945年当時8歳だった森さんは、広島を覆う惨禍の中で九死に一生で生き残った。
森さんは、当時の状況をこう語った。

「爆発当時、爆心地から2.5キロ離れた北西の方の丘にいました。爆風に押されて川に落ちて、やっと意識を取り戻した時は、キノコ雲の真ん中にいました。世界中が暗くて、目の前10センチメートルの距離の私の指の動きですら見えませんでした。焼けるような感じ(熱気)が信じられないほど強くて、周辺の木々や家、そして、その中にあるものが空中に吸い込まれて巻き上がっていました。地球が爆発したのではないかと思いました」

戦後、森さんは、自らの人生設計に邁進した。
学校では特に歴史科目に興味があったし、成績も非常に良かった。
森さんは歴史の教授になる夢を育てていくと同時に、大学卒業後は大手証券会社、そして後には楽器メーカーヤマハで定年まで働いた。
リサーチ(調査活動)は週末を利用した。
森さんの歴史研究への情熱は、持続した。
38歳の時に森さんは、当時の米軍の飛行機が、伊陸村(現在の山口県柳井市)近くの山に墜落したという話を聞いた。

「この話を聞いて、私は実際に墜落したという現場を訪ねて、農家の噂をたよりにして捜した結果、みんな墜落の事実をよく知っていました。そして、彼らは墜落現場に私を案内してくれました」

森さんが現場で目撃したのは、米軍爆撃機の「ロンサムレディー号」の残骸だった。
その後数年間の研究を通じて、森さんは米軍の乗組員の名簿一人一人をすべて把握して、かれらが広島憲兵隊司令部に移送されたことを明らかにした。
併せて、その後に墜落した別の米軍の爆撃機の乗組員三人も捕虜に追加されたことも分かった。

しかし森さんは、名前を確認しただけでは満足できなかった。
可能なら遺族を見つけ、自分が明らかにした情報を最大限に伝えようと思った。
政府機関は事実上、参考にならなかった。
まず死亡した米軍のファミリーネーム(姓)を探して、同姓のアメリカ人を見つける作業から着手した。
当時、携帯電話で国際電話オペレーターの通訳を介して、ワシントン州を皮切りにして、米軍の死者とファミリーネームが一致する人を探し始めた。

「調査は簡単ではありません。私は心臓の機能に問題があって、米国現地に行くことができませんでしたし、米国には50個もの州があって、同じ姓を持つアメリカ人が無数にいたからです。それでも、死ぬまで探そう、何とか遺族を探して、死亡した米軍兵士の写真と名前を正式に平和記念資料館に原爆犠牲者として登録しなければと決心しました」

国際電話通話料金の請求書は、毎月7万円ほどになった。
調査はずっと難航した。
そしてついに、「ジェームズ・ライアン」の兄「フランシス・ライアン」と出会ったのだ。

「被爆米軍兵士の名前を最初に平和記念資料館に登録する時、思わず涙があふれました」と森さんは当時を思い出した。
「誰にも知らせずしていた仕事だったので、誰からの助けを受けることもありませんでした。困難が続きましたが、私は何とかこれを成し遂げたかったのです」

「フランシス・ライアン」から出撃前に撮った写真をはじめとする新しい情報を得ることができたし、B24爆撃機ロンサムレディー号の機長の「カート・ライト」中尉を見つけることに成功した。
「カート・ライト」氏とは、それ以来20年以上の友情を築いた。
カート・ライト氏が昨年(2015年)に亡くなるまで、お互いに交換した手紙は100通を超えた。

「広島には原爆犠牲者のための数十個の慰霊碑があります。しかし、犠牲になった米軍兵士のための碑は一つもありませんでした。私は幸いなことに生き残りました。だから、生き残った私は何とか遺族を見つけ、愛する家族(米軍兵士)の最後の様子を伝えなければという気持ちがより一層切実になりました」

1999年森さんは、12人の被爆米軍の犠牲者の記念碑を広島憲兵隊司令部のあった場所に建てた。
2012年には、トルーマン大統領の孫のトルーマン・ダニエルさんと共に、この記念碑に献花して、弔意を表した。
徐々にこのような森さんの努力が世に知られるようになって、米国メリーランド州の米国州立国会図書館の膨大な資料をはじめとする他の様々な膨大な資料をもとに、最終的に12人の被爆米軍の犠牲者全員の遺族を見つけ出すことになった。

森さんは、最後の12人目の米軍の遺族を探し出したとき、もう目的を達成したという気持ちにしばらくなっていたが、決して研究活動からは手を離さなかった。
今は二番目に原爆が投下された長崎で犠牲になったイギリス軍とオランダ軍捕虜の遺族の行方を探しているところである。

被爆米軍の「ノーマン」上等兵の遺族は、森さんが様々な情報を送ってくれたことに対し、森さんに心から感謝している。
このような事情をノーマンの学生時代の友人の「エディ・シャンドゥネ」が知ることとなった。
「エディ」は、自分の甥の映画監督「バリー・フレシェット」に、ノーマンの遺族らが長い間知らなかったノーマンの最後の詳細を知ったことを喜んでいると伝えた。
バリー・フレシェット監督は、「遺族が整理しておいたノーマン関連の本を手に入れて読みましたが、すぐに熱中しました。その話は広島で被爆した12人の米軍の話でした。ところで、私たちの世代の人々は、このような話を全く知りません。そのため、この話を世の中に知らせなければという考えを持つようになりました」と述べた。

バリー・フレシェット監督は、2013年の春、初めて森さんに連絡を取った。
そして翌2014年2月には、ノーマンの遺族が渡した本の内容が本当かどうかを直接本人の目で確認するために、単身で日本に入国した。
監督はこう言った。

「森さんの家に到着して応接室に入ると、乗組員一人一人の書類が、ピアノや応接テーブルなどの上にぎっしりと置かれていました。森さんは、それぞれの乗組員について、驚くほど詳細で正確に調べていました。結婚していたのかどうか、子供がいるのかどうか、子供が何人なのか、出身地と搭乗爆撃機の関連情報など…そして、私はその場でこれを必ず世の中に知らせなければという思いをさらに強くしました。ノーマン氏の故郷のマサチューセッツ州ローウェルに住んでいる人よりも、はるかにノーマン氏についての詳細を知っている人に日本で会うことになるとは、夢にも思いませんでした」

監督は最近2年間のドキュメンタリー制作に集中する中で、「ノーマン」氏の甥「スーザン・ブリセット」氏と「レルプ・ニール」氏と一緒に日本を訪問した。
ノーマン氏の遺族と森さんとの出会いは、実に感動そのものだった。
このシーンは監督の映画「Paper Lanterns」のクライマックスに入った。
映画は米軍それぞれの遺族と、ピースの形になっていたパズルを合わせていくアマチュア歴史家森さんの話だ。
森さんは、映画の最後の部分でこう言う。

「戦争とはこのように悲劇的なことです。今後の世界は常に平和であることを願っています」

○森重昭(79歳)

-1937年生まれ、アマチュア歴史家、広島被爆の経験者。現在、妻の佳代子さんと広島在住。二人の子供がいる

================================================

森氏はその功績で、在日米大使館から日本人で唯一人、この式典に公式に招待されました。

このコラムを読んだとき、森重昭さんの尊い行いに思わず胸にこみ上げるものを感じたのと同時に、この事実を外国人が書いたコラムで知ったことを日本人として恥ずかしくも感じました。


Comment

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

Trackback

http://bonobo777.blog.fc2.com/tb.php/242-48a2d5a7

 | HOME | 

プロフィール

aiuto!

Author:aiuto!
会社員
英語の勉強と日々気になることを日記風に書いていきたいと思っています。


最新記事


最新コメント


最新トラックバック


月別アーカイブ


カテゴリ

はじめに (6)
英語 (93)
(2013/9月-2014/2月) (35)
(2014/3月-2014/12月) (41)
(2015年) (2)
(2016年) (12)
音楽 (10)
EL&Pの音楽 (1)
King Crimsonの音楽 (1)
広橋真紀子さんの音楽 (1)
音楽雑記 (6)
アニメ感想 (17)
フルメタル・パニック感想 (1)
とらドラ! 感想 (1)
PSYCHO-PASS -サイコパス- 感想 (1)
灰羽連盟 感想 (1)
ゆゆ式 感想 (1)
新世界より 感想 (1)
じょしらく 感想 (1)
男子高校生の日常 感想 (1)
らきすた, みなみけ, 苺ましまろ, あずまんが大王 感想 (1)
Steins;Gate 感想 (1)
とある科学の超電磁砲 感想 (1)
宇宙戦艦ヤマト2199 感想 (1)
ガールズ & パンツァー 感想 (1)
TARI TARI 感想 (1)
花咲くいろは 感想 (1)
今期のアニメ (13)
2016年冬アニメ 感想1 (1)
2015年冬アニメ 感想 (1)
2014年秋アニメ 感想 (1)
2014年秋アニメ (1)
2014年夏アニメ 感想 (1)
2014年夏アニメ (1)
2014年春アニメ 感想 (1)
2014年春アニメ (1)
2014年冬アニメ 感想 (1)
2014年冬アニメ (1)
2013年個人的ベスト10アニメ (1)
2013年秋アニメ 感想 (1)
2013年秋アニメ (1)
今期のアニソン (6)
2014年夏アニメ アニソン (1)
2014年春アニメ アニソン (1)
2014年冬アニメ アニソン (1)
2013年秋アニメ アニソン (1)
個人的お気に入りアニソン(ED編) (1)
個人的お気に入りアニソン(OP編) (1)
アニメ雑記 (57)
趣味 (6)
バイク (3)
車 (1)
時計 (1)
推理小説 (1)
一般雑記 (64)
お城訪問 (22)
旅行 (20)
隣の国の困った人々(特亜3国) (8)

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

検索フォーム


RSSリンクの表示


リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる


QRコード

QR

    


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。