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信州・北陸100名城巡り(その①)

また、前回の記事から、かなり時間が経ってしまいました。どうも、こまめにUpする時間が取れません...

東京お登りさんツアーを木曜と金曜の2日間で終わらせた後、週末の土曜日曜は信州上田・小諸から福井へ足を伸ばし100名城巡りを行って来ました。

ただ、今回の100名城巡りは、直前の東京でのタイトスケジュールの流れで行ってしまいましたので、ちょっと急ぎすぎたと反省しています。今後は1日1城のペースを基本に、周囲の街並みの散策を含めて、ゆっくり100名城巡りを進めて行きたいと思っています。でも、なかなか休みが取れないので、それも難しいのですが...

今回の100名城巡りでのお城訪問は、いつかリベンジをしたいと思っていますので、今回は暫定版のような感じでUpしておきます。

1.上田城訪問
東京から北陸新幹線を使うと約1時間半程で長野県上田に到着することが出来ます。上田駅は北陸新幹線の停車駅になって、とても綺麗な駅になっていました。
DSC08657.jpg
そして、もちろん駅前には真田幸村の銅像が。お約束ですね。
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このJR上田駅から徒歩15分くらいの場所に上田城は位置します。折りしもNHK大河ドラマ真田丸の放映期間中でしたから、とにかく人が多かったです。
DSC08605.jpg

城内には、この真田丸放映を記念して”真田丸大河ドラマ館”が開設されていました。
DSC08597.jpgDSC08601.jpg
せっかくなので、中へ入って見ました。もちろん、内部は多くの人でごった返していましたが、県外からの観光客だけでなく、地元の人も多いよう感じました。この大河ドラマをきっかけに、あまり歴史に関心が無かった地元の人も訪れるようになったのかもしれません。人気ドラマのパワー侮りがたし。

自分は、中々連続してドラマが見れないので、かなり前から大河ドラマを見なくなっているのですが、たまに真田丸を見ると確かに面白いですね。この内容であれば、人気が出るのも判ると言うものです。ただ、草刈正雄さん演じる真田昌幸のカッコ良さはちょっと反則かも。

上田城は、1583年に真田昌幸が築城したものですが、実は徳川家康の多大な援助を受けて、徳川の上杉氏に対する最前線として築城された城でした。しかし、その後、真田昌幸は、この徳川の援助を受けた上田城で第一、第二次上田合戦と2回も徳川氏と戦い、いずれも多勢の徳川氏を撃退させているのですから、それは正に謀将と呼ばれた昌幸の面目躍如と言える出来事でした。しかし、天下分け目の戦いである"関ヶ原"では西軍に味方し、第二次上田合戦で徳川秀忠を足止めさせて合戦に参加させなかったことへの咎めで、昌幸は九度山へ配流させられそこで没することになります。また、徳川に散々辛酸を舐めさせた上田城も徹底的に破壊されてしまいます。実は、現在の上田城は、後から入封した仙石氏によって作られたもので、一応旧上田城の上に、現在の上田城が築かれたとされていますが、真田氏が築城した上田城とは直接関係のないものなのです。しかし、城内には"真田井戸"や大手門の”真田石”など真田氏の名声にあやかった伝説のようなものが数多く残されているので、やはり当時から武士の間でも真田氏の人気は高かったのでしょうね。何しろ将軍家に一泡吹かせた伝説の武将なのですから。

以下に上田城の写真を貼っていきます。
大手門と大手門右の北櫓。北櫓は民間に払い下げられていたものを市が買い上げて上田城に戻したもの。大手門は近年の復元です。
DSC08608.jpg
大手門の左手の南櫓。こちらも民間に払い下げられて、一時期は遊郭になっていたとのこと。
DSC08607.jpg
櫓の内部。
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内部から見た大手門と櫓。
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真田神社。元々は、松平神社と呼ばれ、創建時藩主の松平氏や仙石氏、真田氏など歴代藩主を祀っていましたが、今では真田神社と呼ばれることになったとのこと、
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西櫓。この櫓は仙石氏が築城した当時から存在する現存櫓。
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本丸の土塁とお濠。
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尼ヶ淵から見た南櫓。河岸段丘になっており石垣も2段になっています。上田城が防御として天然の地形を利用して築城されたことがわかります。
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最後に、上田城のMapを示した城内の案内板を載せてみます。
DSC08587.jpg

真田昌幸は流刑先で没し、次男の真田信繁(幸村)も、大阪の陣で徳川に一矢報いる大活躍で武名を全国に轟かせましたが戦場で討死にをしました。しかし、長男の信幸は家康の家臣本多忠勝の娘を妻に迎え、東軍として親子で分かれて戦かったので真田の血筋は絶たれることなく生き残りました。

真田信幸は、父の昌幸や弟の信繁に比べると地味な存在になりがちですが、第一次上田合戦では大いに活躍し、その器量を見込んで家康は、本多忠勝の娘・小松姫を家康の養女とした後に信幸に嫁がせ徳川の縁者にした程の実力の持ち主でした。関ヶ原の役の後、昌幸と信繁が西軍側について第二次上田合戦で、秀忠の足を止めた咎で処断を決めていた徳川家康に対して、自らの戦功・領地そして命までをも投げ出して助命に走る姿が諸将の同情を引き、舅の本多忠勝も「お聞き入れくだされなければ、それがしが殿と一戦仕る」と家康に啖呵を切った事から、父と弟は九度山への流罪ですむことになったと言われています。
信幸は確かに、父と弟に比べて地味な存在に見えますが情と信義だけでなく、粘り強さも備えた武将であり、大阪の役の後も、弟の信繁が豊臣方として大活躍した事から、内通を疑われて取り潰されそうになったところを、父ゆずりの老獪さで渡りきりました。その後、真田氏の父祖の地である上田から、河川の氾濫などにより痩せた土地だった信濃国松代へ左遷同様(というより秀忠からのあからさまな嫌がらせ)の転封となりましたが、良妻・小松姫の助力で松代藩を立て直して、明治維新まで続く藩の基礎を築きました。真田の血筋が残ったのは正に信幸(後に信之に改名)の知略と努力の賜物と言えるでしょう。
大河ドラマ真田丸では、大泉洋さんが中々いい味で信幸を演じていますね。出来れば真田丸は、全話DVDかBlu-rayで出して欲しいところです。

真田信幸が入城した松代城は、100名城に含まれていますし、上田城だけでなく真田一族の旧本拠であった真田本城などの城跡も見てみたいので、上田はもう一度訪れたいと思っています。ただ、とにかく今は真田丸ブームで人が多すぎるので、再訪問はもう少し落ち着いた頃の多分数年後くらいになりそうです。


2.小諸城訪問
上田駅から、しなの鉄道に揺られること約20分で山間の小さな町小諸に到着します。その小諸駅から歩いて5分程の所に小諸城は位置します。
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小諸城は、戦国時代、武田信玄の軍師であった山本勘助が縄張りをしたと言い伝えられています(根拠となる史料はないとのこと)。その後、仙石秀久が小田原征伐での功労が認められ5万石の大名として、天正18年(1590年)に入城してから石垣などが構築され近代城郭としての構えが整えられました。三重天守もその時に建てられ、その天守には桐紋の金箔押瓦が用いられていましたが寛永3年(1626年)に落雷によって焼失してしまいました。2代目仙石忠政が上田城へ転封となった後、江戸時代には小諸藩の藩庁が置かれ、その後は松平氏、青山氏、酒井氏などが封じられましたが、元禄15年(1702年)に牧野康重が移封された後は国替えは行われず、牧野氏10代康済の時に明治を迎えました。

この城の特徴は、なんと言っても天然の地形を利用した縄張りにあります。
以下に、余湖のホームページから小諸城の俯瞰図を転載させて頂きました。
     小諸城俯瞰図
城の両脇は天然の堀切になっており、登坂は不可能と思われる程切り立った崖を利用した天然の要害になっています。また、ここの地形は、本丸のある西側に向かって傾斜しているので、三の丸が城内最高所という位置関係になります。つまり城内に進入するにしたがって高さが下がっていくことになり、そういうことから、この手の城を「穴城」と呼ぶのだそうです。
以前は、二の丸の東側に広大な三の丸が存在しましたが、現在は市街地となってしまい三の門だけが残っています。

以下に、小諸城の写真を載せていきます。
小諸城の顔となっているのが、この三の門です。懐古園の入り口ともなっています。
DSC08663.jpgDSC08664.jpg

入り口のところに、”あの夏で待っている”の等身大Popがありました。どうやらここが舞台となっていたようですが、どのくらいの人がこのアニメを覚えているでしょうか。
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石垣は苔むしていてすごくいい感じです。
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北の丸から黒門橋を渡って馬場へ入ります。
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黒門橋から見た北の丸と馬場の間の堀切。すごく深い!
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城内に懐古神社がありました。
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本丸の石垣の上を歩いていきます。
DSC08699.jpgDSC08702.jpg
天守台跡です。
DSC08704.jpg

降りて本丸の周りをぐるっと歩いて見ます。
DSC08710.jpgDSC08715.jpgDSC08739.jpg

本丸北側の谷へ行って見ます。橋が架かっているので渡ってみました。
DSC08722.jpg
橋の途中から見た北側堀切。すごい絶壁なことがわかります。
DSC08726.jpg

橋の途夕から見えた水の手展望台へ行って見ます。
DSC08730.jpg
展望台からの光景。
DSC08732.jpg
絶景でした。

さて、小諸城で有名な人物と言えば、何といっても仙石秀久でしょう。この人物ほど浮き沈みが激しく、かつ毀誉褒貶に富んだ武将と言うのも珍しいでしょう。何しろ、下克上で入れ替わりの激しい戦国時代で、一旦大名の身分から改易された後、再び大名に復帰したのですから、ある意味傑物と言えるかもしれませんが、相当個性の強い人物であったのは確かだと思います。

以下に仙石秀久の生涯をNet記事より転載します。
==========================================================

1.出生~大名

1552年1月26日、斉藤氏に仕えていた豪族・仙石久盛の4男として美濃国加茂郡黒岩(現在の加茂郡坂祝町)で生まれる。しかし、兄弟が不幸にあったため急遽家督を継ぐことになる。
15歳の秀久は稲葉山城の戦いで落ちのびた後、信長に勇壮な相貌を気に入られ、黄金一錠を与えられたといわれている。
 信長公、秀久の容貌の勇壮なるを賞す「改選仙石家譜」
その後羽柴秀吉の配下として各地を転戦する。

1570年姉川の戦いで山崎新平を討ち取り、1574年1000石の一領主となる。
中国攻略に従軍してからも1578年に4000石、翌年に茶臼山城の城主へ。
着々と出世を続け1583年淡路洲本城主5万石の大名となる。
さらには1585年四国攻めの論功行賞により讃岐高松10万石に加増された。

例えるのも難であるが、1店長から数年で地方の統括を任されるようなもので、もはや給料が増えたというレベルではない。このあまりにも早い出世は後の悲劇につながることになる。

2.改易、そして「無」へ

1586年四国を平定した秀吉に従い、九州征伐の為の四国勢の軍監として従軍することになる。
十河存保や長宗我部元親・信親父子らの軍勢と共に九州に渡海し、豊後で島津家久と対峙する。
しかし四国攻めから間もない状態から四国勢は結束に乏しかった。加えて大友家からの援軍も少数に留まっていた。
秀久は秀吉からは本隊到着までは持久戦に徹するよう書状を受け取っていたが、互いに犬猿の仲である長宗我部親子と十河存保がそろって反対したにも関わらず両者の反対を押し切り先陣部隊だけでの攻勢を決定した。
しかし、1587年戸次川の戦いで大敗し、長宗我部信親・十河存保らが討死、軍勢も総崩れとなって退却した。

 四国へと真っ先に逃げ帰った秀久はこう記された。
「仙石は四国を指して逃げにけり、三国一の臆病者」(豊薩軍記)

 ルイス・フロイスはこの時の仙石軍の様子をこう記した。
「豊後国に跳梁している最悪の海賊や盗賊は仙石の家来や兵士に他ならない」(日本史)
「恥とか慈悲と言った人間的感情を持ち合わせていない輩であり、できる限り(略奪して)盗み取ること以外目がなかった」(日本史)

 それ以上に、諸侯を差し置いて、九州から四国・讃岐へ勝手に撤収するという醜態を見せ、これらの行状に秀吉は所領没収の上で高野山追放の処分を下した。

3.復帰

その後高野山だけでなく京都、大坂を転々としていたらしい。
1590年に小田原の役がはじまると故郷・美濃で浪人達を集め、徳川家康の推薦もあって陣借りとして参陣。
鈴を陣羽織一面に縫いつけるという際立つ格好をして合戦に参加したという逸話も残されており、「鈴鳴り武者」の異名をとったと伝えられる。
秀久は伊豆山中城攻めで『無』の馬印を背負い先陣を務め、小田原城早川口攻めでは虎口の一つを占拠するという抜群の武功を挙げた。その名声は箱根にある地名「仙石原」は秀久の武勇に由来するという説が存在する程である。
           仙石久秀1
その功績から秀吉からする信濃小諸に5万石を与えられ、大名として豊臣家臣に復帰した。

4.その後

 秀吉の死後、徳川家についた秀久は1600年の関が原の戦いで東軍として参戦。徳川秀忠の側近として上田城攻めに参加。遅参し、秀忠に対して激怒する家康への謝罪に努めた。この働きが後に秀忠に重用されるきっかけとなった。
 江戸時代になってからは信濃小諸藩の初代藩主となった。秀久の治世では佐久郡において農民がストライキを起こすなどあまり内政は上手くなかったらしい。しかし、笠取垰、小諸城及び城下町を現在のようにしたのは秀久の功績でもある。また、街道の伝馬制度や宿場街の整備など多様な治績を残している。

 1614年、江戸から小諸へ帰る途中に発病し、武州鴻巣にて5月6日に死去。享年63。

5.評価

以上の事から、戸次川の戦いでの結果から長宗我部ファン、十河ファンの敵だったり、これだけの失敗をして大名に復帰するなんて許せないなどアンチが多い人物である。
しかし、彼が秀吉~家康のもとで結果を出し続けてきたことは事実である。
=========================================================

本当に山あり谷ありの人生を歩んだ仙石秀久ですが、所謂名将と言われるような風格はどうにも見当たらず、自分のことしか興味の無い器量の狭い人物に見えてしまいます。ただ、何かをやり遂げるときの瞬発力が頭抜けていて、全身に目立つ鈴を付けて合戦に参加するというあざといとも言える様なことをして、しかもそれでちゃんと戦功を立ててしまうのですから常人のレベルを超えた高い能力を持っていたことは間違いなさそうです。しかし、この”鈴鳴り武者”の仙石秀久と、味方の軍を残したまま九州から四国へ逃げ帰ったと言われる仙石秀久の人物像が全く重ならないのが本当に不思議です。本当に、この2人は同一人物なのでしょうか?
ただ、大名に返り咲いた後小諸藩での治世がうまく行かず農民が逃げ出すようなことをしながら、後で街道の伝馬制度や宿場街の整備など多様な治績を残すことなどをしているところに、その解答があるのかもしれません。つまり、仙石秀久という人物は、基本的に頭を使うより感情にしたがって思いつきで行動してしまうのだけれども、後で反省して自分がやった間違ったことを正すということを繰り返していたのかもしれません?

実は、”センゴク”というタイトルの仙石秀久をモデルにしたコミックがあるのだそうです。
      センゴク1
基本的に、史実に基づくというよりエンターテーメントに振った作品とのことですが、そのコミックの中での仙石秀久の描写は、以下のようになっているとのことで興味がわきました。

15歳で当時の平均身長を上回る171cmの体格を持つ青年。笑ったり照れたりするとダンゴ鼻になる。
恵まれた体格と生命力を持ち戦場ではかなりの強さを誇る(三方ヶ原の戦いでは武田兵相手に一人で立ち回れる程)。
表裏の無い真っ直ぐな性格で周囲からは「ゴンベ」「ゴン」「ゴン兄」と慕われている。
頭脳労働が苦手な脳筋でもあるが、野生の勘が鋭く、年齢と経験を重ねるにつれて大局の見方を身に付けていく。

今後、この作品の中で、戸次川の戦いでの大失敗~小田原の役での挽回が歴史考証を交えてどのように描かれているのかは興味があります。一度、この作品を読んで見たいですね。

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