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熊本城・黒川温泉訪問

今回は、前回の記事で書いた阿蘇山周辺の散策(岡城・阿蘇神社)の後に訪問した熊本城・黒川温泉について書いてみたいと思います。前回の記事の続きとして書けば、時間軸上は黒川温泉訪問が先ですが、今回は熊本城訪問から先に書いてみようと思います。

ちなみに、先週末は、ユナイテッド・シネマ系列のガルパン劇場版4DXの上映館で販売している"ダージリン様のポップコーンセット"がどうしても食べたくて、奈良県まで遠征して2回目のガルパン劇場版4DXを見てきたので、今週も一週間に最低一回更新のノルマを果たせませんでした...

一応、それだけでなく100名城巡りとして高取城訪問もしたし、せっかく奈良まで行ったので猿石や酒船石も見てきましたよ!何しろ謎の古代巨石遺物ってのはロマンだからな~♪...って、それはともかくポップコーンセットを食いに奈良まで行くとか、やっぱり頭どうかしてるよ...

1.熊本城訪問
前日宿泊した阿蘇山の麓にあるゲストハウスASO BASE BACKPACKERSを出て車で走ること約1時間半。熊本市の中心に近づくと丘陵状の丘の上にある熊本城址が見えてきました。熊本城を訪問するのは今度で4度目になりますが、自分にとって熊本城は、何度来ても見飽きることは無い、正に名城中の名城です。
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よく言われる日本三大名城の一つに数えられる熊本城ですが(残りの二つは名古屋城と大阪城)、自分にとっても熊本城は、姫路城と並び立つ双璧の城です。姫路城が巧妙な縄張りを配する実戦的な城であるにも関わらず優美で華麗な意匠を纏う姿が素晴らしく、どことなく女性的な美しさを感じさせるお城であるのに対し、熊本城は、堅固な軍事要塞としての無骨さの中にも機能美を持ち、かつ巨大な天守の他に五重櫓が六基も立ち並ぶという壮大さが男性的な力強さを感じさせる城で、外見は対照的ですがどちらも甲乙つけがたい魅力に溢れたお城なのです。

ちなみに、先に挙げた3大名城は、城造りの名手と謳われた藤堂高虎・加藤清正が築城に携わった中で特に優れた城郭として挙げられたとのことですが、それ以外にも見方によっては色々あるらしく、
「城郭の規模で選定した三名城」では、江戸城、名古屋城、大阪城
「日本名城百選から抜粋された上位三城」には、大阪城、熊本城、江戸城
「江戸時代の天守を象徴する三名城」には、名古屋城、姫路城、熊本城
といったように、諸説あるようです。

個人的な三大名城としましては、上位二城は先に挙げた熊本城及び姫路城で、その後に来る城は、名古屋城でも大阪城でも江戸城でも構いません。しかし、熊本城、姫路城の二城は、自分にとってその他の城とは全く別格の城なのです。

1-1.熊本城の歴史
熊本城は、城作りの名手と呼ばれた加藤清正によって築城され、加藤氏改易後に入城した細川氏によって拡張・整備されました。以下に、熊本城が辿った歴史を簡単にまとめてみます。

1)加藤清正による熊本城築城
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加藤清正は、永禄5年(1562年)6月24日、刀鍛冶の加藤清忠の子として尾張国愛知郡中村に生まれました。母が羽柴秀吉の生母である大政所の従姉妹(あるいは遠縁の親戚)であったことから、天正元年(1573年)、近江長浜城主となったばかりの秀吉に小姓として仕え、天正4年(1576年)に170石を与えられました。清正は秀吉の親戚として将来を期待され、秀吉に可愛がられて、清正もこれに応え、生涯忠義を尽くし続けました。

天正10年(1582年)、本能寺の変が起こると、清正は秀吉に従って山崎の戦いに参加した。翌年の賤ヶ岳の戦いでは敵将・山路正国を討ち取るという武功を挙げ、秀吉より「賤ヶ岳の七本槍」の一人として3,000石の所領を与えられました。

そして、天正14年(1586年)からは秀吉の九州平定に従い、肥後国領主となった佐々成政が失政により改易されると、これに替わって肥後北半国19万5,000石を与えられ、隈本城(この隈本城は、以前の領主が築城した現在の熊本城とは異なる城)へ入城しました。(残りの肥後南半国を治めたのは、後に清正と確執を深めていく小西行長でした。)

北肥後の領主となった清正は、1591年(天正19年)から千葉城・隈本城を含む茶臼山全域を取り入れた近世城郭への改修を始め、1600年(慶長5年)頃には天守が完成し、1606年(慶長11年)には城全体の工事が終了しました。城の完成を祝って、その翌年に清正は「隈本」を「熊本」と改めました。

2)細川氏の入城から明治・西南の役での熊本城攻防
清正の死後、二代目加藤忠弘が改易となり、寛永9年(1632)細川忠利が次期領主として入城しました。以降、細川氏が大政奉還の日に至るまで、200有余年に渡って肥後熊本の政治を行いました。この細川氏統治の間、熊本城は細かく拡張整備が行われ、それは明治維新まで30年を切った天保年間まで続き、最後の西端の段山郭が完成した時点で城内の櫓は62を数えていたと言われています。以下は、幕末から明治にかけての熊本城古写真。
熊本城古写真1r2熊本城古写真2r2

明治維新後、熊本鎮台が置かれ、老朽化した櫓、多重櫓が破却され、西南戦争前には天守・本丸御殿を中心とした本丸主要部のみ保存されていた状態でした。
西南戦争では政府軍の重要拠点であると同時に西郷軍の重要攻略目標となりましたが、西郷軍の総攻撃2日前、1877年(明治10年)2月19日午前11時40分から午後3時まで原因不明の出火で大小天守及び本丸御殿など多くの建築物が原因不明の出火で消失しました。西郷軍からの熊本城への攻撃が始まると、熊本城は司令官谷干城の指揮の下、4000人の籠城で、西郷軍14000人の攻撃に耐え抜き、ついに撃退したと言われています。特に、この戦いでは武者返しが大いに役立ち、熊本城を甘く見ていた西郷軍は、誰一人として城内に侵入することができなかったとのことです。二百年も前に建築された城郭が、当時の最新の軍備を備えた軍隊を跳ね返したという、正に名城の面目躍如となる出来事でした。

最後に、熊本城史以外の肥後国入国以降の加藤清正について追記します。

北肥後へ入国以降、文禄・慶長の役で武功を挙げた清正は、文禄の役における明・朝鮮との講和交渉から石田三成との確執が生じ、関ヶ原の合戦では東軍に協力し徳川家康に従いましたが、その一方で、終生、豊臣家への忠誠も忘れませんでした。1611年3月には、二条城における徳川家康と豊臣秀頼との会見を取り持つなど和解を斡旋しましたが、帰国途中の船内で発病し、6月24日熊本城内で死去しました。享年50歳。

熊本県においては、「清正公(せいしょこ)さん」として、現在でも種々の史跡や祭りなどにも取りあげられていますが、当時の肥後人の清正への崇敬も強かったといわれています。賤ヶ岳の七本槍や文禄・慶長の役での武功から武人としての面のみが強調されがちですが、肥後国において清正は政治手腕も大いに発揮し、田麦を特産品化し南蛮貿易の決済に当てるなど、農業行政で実績を上げ、得意とする治水以外に商業政策でも良策を実行しました。その当時、ほとんどの大名が単に統治しただけであったのとは対照的に、農業行政などで実績を上げたことが、現在に至る清正への畏敬の念につながっているのです。

1-2.熊本城訪問
熊本城俯瞰図
熊本城外の駐車場に車を止めると、熊本城の西側の行幸坂を北に向かって登って行きます。すると右手に飯田丸五階櫓が見えてきました。
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更に行幸坂を登っていくと頬当御門が右手に見えてきました。ここから熊本城内に入ることになります。頬当御門の左側には、宇土櫓が見えました。城内に入る前に、外から宇土櫓を見上げてみます。
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頬当御門を抜けると直ぐに本丸に到達します。正面に天守閣が見えますが、まず左手側にある宇土櫓を見ることにします。
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この宇土櫓は、青南戦争時も第二次世界大戦の熊本空襲時も奇跡的に延焼を逃れた熊本城の遺構の一つです。
内部に入ると、木材の摺減り具合が長い年月が経っているいるのを実感させます。やはり、本物はいいですね!
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急な階段を上って、最上階へ向かいます。
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宇土櫓最上階から見た大小天守閣。
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宇土櫓を出ると、正面に天守閣が見えます。
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その天守閣を左手側に見ながら復元された本丸御殿へ向かいます。この本丸御殿は平成20年に再建されたものです。
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この本丸御殿への向かい方は面白くて、本丸御殿の下を潜っていくことになります。
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本丸御殿の入り口から中に入ると、最初の部屋は御台所の間になります。2つの大きな囲炉裏(いろり)があり、土間には竃(かまど)などもありました。
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御台所の間の奥は、大広間になりますが、その広さは圧巻です。この大広間は、一番手前が「鶴之間」(60畳)で、奥に向かって「梅之間」「櫻之間」「桐之間」「若松之間」と続きます。
「鶴之間」へ入って奥を見ると、一番向こうに、「若松之間」の障壁画が見えました。
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大広間の左手側に配置されている縁側を通って、「若松之間」の側面に出ます。手前が、縁側から見た「若松之間」で、その奥が、本丸御殿の中で最も格式が高いと言われている、「昭君之間」です。
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縁側を更に進み、「若松之間」を回り込んで、「昭君之間」の側面に出ます。
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この「昭君之間」は、実は「将軍の間」の隠語で、豊臣秀吉子の遺児である秀頼に万が一のとき、清正にはこの熊本城に秀頼を迎え入れ、豊臣秀頼を匿うためのものだったとの説があります。また、昭君の間には、大工の棟梁の語りを記録した「大工善蔵より聞覚控」という古文書から、抜け穴があったとの伝説もあります。

慶長期の特色である鉤上段(かぎじょうだん)を設け、室内は床の間や違棚、付書院などを持つ書院造りとなっています。
壁や襖などには中国の前漢の時代の話で、匈奴(現在のモンゴル)に嫁がされた悲劇の美女、王昭君の物語が狩野派の絵によって蘇っています。
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王昭君は、右から2番目の屏風絵の中で、馬に乗って楽器を抱えた姿で描かれている女性です。
                 王昭君3
楊貴妃・西施・貂蝉と並ぶ古代中国四大美人の一人とされ、以下のような話が伝えられています。

前漢の元帝の時代、匈奴(現在のモンゴル)が、漢の女性を君主の妻にしたいと元帝に依頼したところ王昭君が選ばれました。実は、宮女たちはそれぞれ自分の似顔絵を美しく描いてもらうため、似顔絵師に賄賂を贈っていたのですが、王昭君はただ一人賄賂を贈らなかったので美女として描かれず、元帝の目に留まらなかったからでした。皇帝に別れを告げるための式で王昭君を初めて見た元帝は、王昭君の美しさに仰天しましたが、この段階になって王昭君を匈奴へ贈る約束を撤回すれば匈奴との関係が悪化することは明らかだったため撤回することは出来ませんでした。その後の調査で、宮女たちから多額の賄賂を取り立てていた画家の不正が発覚したため、元帝は似顔絵師を斬首刑に処したとのことです。

正面の障壁画の上部に、賄賂をもらって美人画を描いている絵師が描かれています。
賄賂画家

格天井には、見事な花の天井画が描かれています。王昭君の障壁画は、構図が文章で記録されていただけでしたので、王昭君について描かれた他の絵画を参考に狩野派の作風で再現されたものですが、この天井画は、幸いにも詳細なスケッチが残されていたため、そのスケッチを元に再現されました。
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これらの障壁画や天井画の復元については、構図の決定から実際の復元作業に至るまでを記録したビデオが御殿内で流されていますので、時間があればご覧になることをお勧めします。

「昭君之間」を過ぎると、杉戸絵が展示されていました。
くすんだ色をしている杉戸が現存のもので、色彩が鮮やかなものが復元したものです。
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上写真の杉戸の画題は「柏に鷲図」で、樹木の守護神である葉守の神が住むといわれる柏と、勇猛な鷲を組み合わせて吉祥的な意味をもたせているとのこと。引手金具の細工も大変美しいですね。

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その後、廊下を歩いて御殿の外へ出ました。

御殿を出ると、目の前にそびえる天守閣に登ってみます。天守閣への登城は小天守側からになります。
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この大小天守閣は昭和35年に鉄筋コンクリートで再建されたもので、内部は模型展示などの資料館になっています。
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最近行われている熊本城の復元整備計画は、全て木造で行われているので、鉄筋コンクリート造りのこの天守閣は味気なく感じるのですが、当時の最新の技術として鉄筋コンクリート使用による再建が行われたので、これはまぁ仕方がないですね。
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上は、天守から見下ろした宇土櫓。

天守から降りると、御殿の横を通り、不開門と櫓群(田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源乃進櫓)を見ながら東竹の丸へ進みます。
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東竹の丸から見た飯田丸五階櫓。
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東竹の丸から飯田丸へ進む途中で二様の石垣の向こうに天守閣を望みます。しかし、本当にすごい石垣ですね!
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飯田丸五階櫓。飯田丸の南西隅に建つ五階建ての櫓で、熊本城南面防衛の要であり、内部には井戸や台所、鉄砲蔵までも設けられていました。平成17年に木造で復元が完成しました。 内部は見学が可能です。
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飯田丸から竹の丸へ下りて、石垣の向こうの天守閣を望みます。
石垣の積み重なりの向こうに天守閣が見える有名なショットです。熊本城の守りの堅固さが良く表われています。
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名残惜しかったのですが、島原城へ行くためのフェリーの時刻が迫っていたので、これにて熊本城を後にしました。

熊本城の復元整備計画の第一期(下図の1~6)は終了し、現在第二期(下図7~9)が計画されていて、将来的には10~14の復元も予定されています。出来れば、自分が生きている間に、下記の計画が全て実行されて欲しいものです。
復元計画
<短期(第Ⅰ期)計画による復元完成建造物>
1.南大手門(みなみおおてもん)<平成14年10月完成>
2.戌亥櫓(いぬいやぐら)<平成15年8月完成>
3.未申櫓(ひつじさるやぐら)<平成15年8月完成>
4.元太鼓櫓(もとたいこやぐら)<平成15年12月完成>
5.飯田丸五階櫓(いいだまるごかいやぐら)<平成17年2月完成>
6.本丸御殿大広間(ほんまるごてんおおひろま)<平成20年3月完成>

<第Ⅱ期復元整備計画による復元予定建造物>
7.馬具櫓および続塀(ばぐやぐらおよびつづきへい)
8.平左衛門丸の塀(へいざえもんまるのへい)
9.西櫓御門および百間櫓(にしやぐらごもんおよびひゃっけんやぐら)

<今後の復元予定建造物>
10.竹の丸五階櫓(たけのまるごかいやぐら)
11.数寄屋丸五階櫓(すきやまるごかいやぐら)
12.御裏五階櫓(おんうらごかいやぐら)
13.櫨方三階櫓(はぜかたさんかいやぐら)
14.北大手門(きたおおてもん)

(自分は、前回、微力ながら募金に協力しましたが、今後も出来るだけ協力していきたいと思っています。ちなみに、今回自分の名前が書かれた芳名板が天守に掲示されているのを確認して、嬉しかったです!)
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最後に櫓群を竹の丸から見上げた写真。
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2.黒川温泉訪問
時系列的には、熊本城のあとは島原城を訪問しましたが、同じ熊本エリアという括りで、前日に訪問した黒川温泉を紹介してみようと思います。

黒川温泉は2000年以降急激に全国的に有名になった温泉地です。自分は以前、小倉に住んでいましたが、その当時黒川温泉の名はテレビなどのメジャーな媒体では殆ど聞いたことが無く、自分はもっぱら別府温泉もしくは由布院へばかり行っていました。実際、以前の黒川温泉は20数件の兼業農家が営む単なる山あいのひなびた湯治場であり、近くの別府や由布院と言う有名温泉の影に隠れて寂れていたのだそうです。

ところが、そんな中でも後藤哲也氏の経営する新明館だけは客足が絶えることが無く繁盛していました。そこで黒川温泉の復活を賭けて、ほかの宿も、この後藤氏の提唱する”自然との融和”を演出する温泉を目指したところ、温泉街全体が自然に包まれたような風景に生まれ変わり、女性客の口コミから徐々にリピーターが増えて行って、現在の黒川温泉の人気に繋がったとのことです。

以下は、黒川温泉街の風景です。「街全体が一つの宿 通りは廊下 旅館は客室」が黒川温泉のキャッチコピーとのことですが、確かに温泉街全体に静かな湯の町情緒が漂っていて、実にいい感じです。
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黒川温泉は、自然を生かすという点に重きを置いているので24軒ある全ての旅館に露天風呂があり、各旅館とも露天風呂に特徴を持つように、それぞれ嗜好を凝らしています。その露天風呂を数多く楽しむために共通でハシゴできる「入湯手形」というシステムが考案され、それが黒川温泉の人気を更に高めることになりました。
DSC06687.jpg
上が入湯手形で、黒川温泉観光旅館協同組合「風の舎」において1,200円で販売され、自分の選んだ3箇所の温泉に入ることが出来ます。くまもん手ぬぐいは、新明館で買ったものです。

自分はネット上の人気から、新明館、いこい旅館、黒川荘の3軒を選んで見ました。
それでは、日も暮れてきたし、投宿先のチェックイン時間に間に合わすためにも急いでGo!です。

1)山の宿 新明館
黒川温泉の人気を創り上げたともいえる宿で、洞窟温泉が有名です。
流石、人気が高いだけあって、洞窟風呂は良い雰囲気の温泉でした。自分が洞窟風呂へ入浴した際、偶然、他の入浴客が誰もおらずゆったりとした気分で、この温泉につかることができました。
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2)いこい旅館
旅館建物の前には囲炉裏の間などがあって非常に良い感じです。
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純和風な雰囲気が実に良かったです。

3)黒川荘
露天風呂の美しさが有名な宿です。
黒川荘
(上写真は、黒川荘様HomePageから転載させて頂きました)

しかしながら、今回時間が無くてお風呂に入ることが出来ませんでした。残念!

下は、三軒目に入湯出来ずシールが1枚余ってしまった入湯手形。スタンプも新明館といこい旅館の2つだけです。
DSC06689.jpg

次回は、もっと時間的余裕を持って訪れたいと思っています。


PS1.ゲストハウス ASORAとASO BASE BACKPACKERS
大晦日の12/31と元旦の1/1は、阿蘇山の麓にあるASORAとASO BASE BACKPACKERSというゲストハウスに宿泊しました。

1)ゲストハウスASORA
DSC05402.jpg
ASORAには、大晦日の12/31に宿泊しました。深夜にASORAのご主人が作った年越しそばを食べた後、近所の寺へ除夜の鐘を突きに行きました。
年越しそば除夜の鐘
除夜の鐘を突くのは生まれて初めての経験です。その後、お寺に参拝して赤酒という新年にしか飲まれない地元の甘いお酒を、お寺で飲ませて頂きました。

元旦の朝は、ASORAのご主人が運転する1Boxカーで阿蘇山の大観峰まで初日の出を見に連れて行ってもらいました。
IMG_1084.jpg
大観峰で日の出を待つ大勢の人々。
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横を見ると、他にも人がたくさん。
IMG_1097.jpg
遠くに太陽が顔を出すのが見えてきました。人生初の初日の出を撮った写真。この時の写真は旅行中にブログにもアップしましたが、それからからすでにもう2ヶ月も経ってしまいました。本当に時が経つのは早い...
ASORAでは、人生初の経験をたくさんさせて頂きました。改めて、ASORAのご主人にお礼を申し上げます。

2)ゲストハウスASO BASE BACKPACKERS
DSC05671.jpg
ASO BASE BACKPACKERSには、1/1に宿泊しました。このASO BASE BACKPACKERSは自分が今までに宿泊したゲストハウスの中で一番綺麗なゲストハウスでした。

これらの2つのゲストハウスに宿泊した際、自分は偶然一人の韓国人青年と両方のゲストハウスで同室になり、結構親しく会話を交わしました。彼は非常に朴訥で真面目な性格で、BACKPACKERSに宿泊した際は、酒を一緒に飲みながら韓国での大企業への富の集中の問題や、南北の統一のことなどの話をしました。お互いがつたない英語を使っての会話なので、どれだけ正確に理解しあえたかはかなり怪しいですが、おそらくお互い性格的にウマが合っていたのか、お堅い内容の話でも結構楽しく会話ができました。
実は、彼と会う前は、2日後に行くことにしていた軍艦島ツアーで、添乗員の人に他のツアー客のいる前で、世界遺産登録の時に、韓国が登録を決める投票直前に、とんでもない横車を入れてきた件についてハッキリ聞こうと思っていたのですが、何だか出鼻をくじかれ止めてしまいました。この件を、人前でハッキリ聞くことは、その場の空気をかなり悪くしてしまう可能性が高かったので、彼との出会いは天佑だったのかもしれません。

しかしながら、こういう韓国の真実を無視する言いがかりについて、ハッキリとした態度を取らず、曖昧にしてきたことがここまで韓国との関係をおかしくしてしまったのは間違いないと思うのです。相手が、真実を捻じ曲げて言いがかりをつけてきているのなら、それは真実ではないとハッキリ言うべきで、それを、韓国人の言うことに反論するのは人種差別だなどという、理性的でない人々の中傷(有り体に言えば脅し)に気兼ねして黙るべきではないのです。

これについては、軍艦島のことについて記事をあげるとき続きを書くことにします(の予定です。この話をすると気分が落ち込むので、書かないかもしれません...)

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