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福岡訪問-その①-(福岡城、大濠公園、and 櫛田神社)

福岡城は、JR博多駅から西へ車で約20分、中洲、天神を抜けて、福岡市中央区に位置します。しかし、多くの地元の方々にとって、ここは城址というよりも、大濠公園もしくは舞鶴公園といった方が通りが良いかもしれません。ここには、かつて櫓総数47基、規模はあの熊本城をも凌駕する大城郭が存在したのですが、どうもこの城に対して地元の方々の関心はあまり高くないようです。城好きにとってはちょっと寂しい気もするのですが、それには、どうも博多という街が持っている長い歴史が関係しているようです。
DSC05125.jpg

1.福岡城の歴史
関ヶ原以前の福岡地区を領していたのは小早川氏であり、海辺にある名島城(現・東区名島)を居城としていました。
小早川秀秋が領主であったときに関が原の役が勃発し、彼は土壇場で西軍から東軍に寝返り、東軍の勝利へ貢献しました。それを徳川家康に認められ、小早川秀秋は備前(岡山県)・美作の地を与えられ、岡山城に移っていきました。
小早川氏の後、関が原の戦いの功績で家康に気に入られてた黒田長政が博多一帯の街・五十二万石をもらって、名島城に入城してきました。黒田長政は、秀吉の家臣としてその名を馳せた黒田如水の嫡子にあたりますが、関ヶ原合戦で東軍が勝利した背景には黒田長政の諜略による功績が大きく、それに徳川家康が応えた国替えと言ってもいいものでした。何しろ中津12万石から実に4倍以上の領地を持った太守への大出世でありました。
しかしながら、名島城は52万石の太守の城としては海に近過ぎかつ、城・城下町ともに手狭であったので、長政は新しく城を建てるのに良い場所を探して、まだそんなに開拓されてない大濠と那珂川に囲まれた丘陵一帯(現在の中央区赤坂。当時は山だったらしい)を新しい城の築城の地と定め、その地名を福岡と改めました。黒田氏の出身地は備前であり、その備前の国の商業地であった福岡にあやかって「福岡」という地名を付けたと言われています。

縄張りは黒田家24騎のひとりである野口佐助一成で、その見事な石垣は城作りの名手加藤清正からも賞賛を受けたとい割れています。福岡城は慶長6年(1601年)には築城が開始され、7年後の慶長12年(1607年)に竣工しましたが、この壮大な城をわずか7年で完成してしまう手腕は、野口佐助という城作りの名手がいたこともさりながら、やはり長政の築城運営能力の高さの賜物だったと思われます。

こうして出来上がった福岡城は、城内には47基もの櫓を保有する52万石の大名の居城にふさわしい九州で最大の巨大城郭でありましたが、本丸の中央には立派な天守台があるだけで、この城の古図にも天守は描かれていません。これは黒田氏が幕府に遠慮して天守を建築しなかったのだろうと今までは一般的に言われてきました。しかし、近年、元和6年(1620)に細川忠興が息子忠利に宛てた書状が発見され、そこには「黒田長政が、幕府に遠慮して天守を解体したと語っていた」といった内容のことが書かれていることがわかりました。このことから、築城当時には天守が存在していたという可能性が高まってきているようです。

黒田氏は、2代忠之のときに黒田騒動が起きますが、無事本領を安堵され、以後12代長知のとき明治を迎えるまで、福岡の地を動くことはありませんでした。

*黒田騒動
江戸時代前期,筑前黒田藩に起きた御家騒動。2代藩主黒田忠之は倉八十太夫を重用して専制を行い,幕府の諸侯取りつぶし策に口実を与える事件を続発させた。そこで筆頭家老栗山大膳は,失政を理由とした藩の取りつぶしを防ぐため,寛永9 (1632) 年,忠之に逆意がある旨を幕府に訴えたが,対決の結果忠之が勝ち,除封を免れ藩は危急を脱し,栗山は南部藩 (→盛岡藩 ) へ預 (あずけ) ,倉は高野山へ追われた。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説より)

2.福岡と博多
博多という街は歴史が古く、今から2000年以上も前から中国大陸との接点があり、港町として、そして商人の文化で栄えてきた街で、759年の「続日本紀」にも「博多大津」という文字が出てくるほど歴史がある街です。

そこへ、新しく来た領主が急に地名を博多から福岡に変えると言い出したので、当時の住民は猛反発をしたようです。その結果、新しく出来た城下町を福岡と呼ぶことにし、那珂川・博多川(那珂川の支流。この那珂川と博多川との中州が、現在の”中洲”地域となっています)から東側の地域を商人の町”博多”とすることになりました。つまり元々の博多の町はそのままにして、新たに出来た城下町"福岡"と完全に分離してしまったのです。
下図は、城下町福岡及び博多の古地図です。
福岡湖地図3
上図にの右上に描かれている、那珂川・博多川によって、城下町・福岡と商人の町・博多は仕切られていて、当時は、この両区画を自由に行き来ができなかったということです。ただ、その福岡と博多の間にある、福岡でも博多でもない、藩の直轄地域の中洲は違ていて、この地域はは当時から遊郭などの一大歓楽街で、この地域だけが福岡の武士と博多の商人との唯一の接点だったのです。
       福岡湖地図4
上の図は、先ほどの古地図をもう少し分かりやすく現代風にアレンジしたものです。中州が福岡と博多を隔てていたことが良く分かります。

川を挟んで、関所で区切られてたこの2つの町、城下町・福岡と商人の町・博多は、住んでる人も武士と商人という風に違うし、言葉使いもかなり違ってたようです。城下町・福岡ではかなり上品は言葉を使い、商品の町・博多では、もともとは港町だったので言葉は粗かったそうです。ただ黒田長政は城下町・福岡を建設する為に、博多の呉服商や御用商人、大工や鍛冶屋などの職人は、福岡に住まわせた様です。その名残りが、今現在では中央区簀子(すのこ)などで、その時代には簀子職人が住んでた町だったのです。

この福岡と博多の争いは、近世になっても続き、江戸幕府が終わり、明治維新後の1867年、市制および町村制が公布さた時も、福岡市が良いか博多市が良いかで意見が割れ、この時は行政区で福岡県となったのもあり、県として「福岡市」という事に決まりました。この時の返礼として、その年の暮れに九州初の鉄道が開通したとき、駅名を「博多駅」にする事で、「福岡市」派は「博多市」派をなだめたとなどということもあったようです。
しかし、争いはこのままでは終わらず、さらにその翌年の第2回市議会で、「歴史上から見ても、市の名前を博多市に改めるべきだ」という決議案がでてきて蒸し返されることに。そして多数決を取ることになったのですが「福岡市」派と「博多市」派の多数決は同数。しかし議長の票が入ってなく、その議長が「改める必要がなく、福岡市のまま」と福岡市側に入ったため、市の名前は「福岡市」に決まって、この問題に決着がついたといういきさつもあったとのことです。いやはや、長い歴史を持つ街は大変ですね!

そして時は流れて、福博プロムナード計画の一部として平成2年に完成された、那珂川をまたいで博多区中洲と、旧福岡県公会堂貴賓館のある中央区西中洲とを結ぶ、 全長78.2メートルの橋には、"福博であい橋"という名前が付けられました。しかし、上記のようなこの2つの地域の争いというのは、さすがに現代では残っていないのでしょうね。
ただ、廃藩置県が行われて、かつての領主の城が取り壊された後、これらの城を復旧しようなどという運動は、この福岡の地では殆ど起きなかったようです。それは「博多」の人たちが「福岡城」に対する思い入れがなく、そしてつい最近まで、その流れは続いていたので、あまり"福岡城の保存や再建には関心が行っていなかったようなのです。しかし、ここ最近では、福岡城の再建運動のようなものも起こってきているようなので、個人的にはこの流れは嬉しいですね。

3.福岡城訪問
九州に到着した翌日12/30に福岡城を訪問しました。

三の丸から二の丸へ入る松の木坂御門前に車を止めると、そこにある案内板を読んでみます。すると、この福岡城の三の丸以内の遺構はかなり昔の面影を残していることがわかりました。以下に福岡城の古地図と、現代の舞鶴公園のマップを並べて見ます。20100823-01.jpg福岡城マップ

まずは、最初に松の木坂御門の坂を上っていきます。
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松の木坂御門の坂を上って二の丸へ入り、少し歩くと本丸へ続く表御門が見えてきます。
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この表御門の階段を上ると本丸へ入ります。本丸を東側へ歩いていくと祈念櫓が見えてきます。この櫓は本丸北東隅に鬼門封じのため建立されたものです。
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祈念櫓から南に向かって歩いていくと天守台が現れてきます。
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天守台から見た福岡のビル郡。正面に見えるのは福岡ドーム?
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天守台から降りた後、天守台の石垣をぐるりと反対側へ回ると小天守台の石垣が見えてきました。石垣の重なりが実に美しいですね。
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南丸内部から見た多門櫓。
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南丸から見た二の丸の石垣。加藤清正が褒めただけあってすばらしい石垣ですね。
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下から見上げた多門櫓。
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本丸の南側を通って、東二の丸へ出ます。写真は本丸南側の石垣。
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東御門を通って三の丸へ出ます。写真は東御門。
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東御門を出て、少し歩くと"福岡城むかし探訪館"が見えてきました。ここで100名城スタンプがもらえるとのこと。
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しかし、行って見ると、なんと年末の休館で、スタンプが押せないことが発覚!!

う~ん...、年末にお休みを頂くのは当然のこととして、しかし、その場合、せめてスタンプだけは外に出していて欲しかったです!自分は、殆ど年末しか長期休暇が取れないので(そういう人は、自分以外にも必ずいると思います)、そういう人のために、是非スタンプを外に置いておくという配慮をして頂くことを切に望みます。(このスタンプを押すだけのために、もう一度、名古屋から博多へ行かなければならないという辛さを是非分かって頂きたい。)

4.大濠公園
福岡城の外濠で、以前は入り江でもあった草香江をもとに公園化したのが大濠公園です。池を貫くように島がいくつか存在し、それぞれが橋でつながっているので、中央部を経由して池を全体を渡ることができます。隣接した舞鶴公園は、福岡城の本丸、二の丸及び三の丸をそのまま公園にしたものです。
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また、夜間は観月橋と浮島の間のライトアップが行われます(おそらく期間限定と思われますが詳しいことは分かりません)
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5.櫛田神社
博多の有名なお祭りといえば、博多祇園山笠があります。この全国的に有名なお祭りは、福岡市が開催しているものではなく櫛田神社の氏子たちが素戔嗚尊(スサノオノミコト)に行う奉納行事のひとつであり、実は地域の住人の方々が伝統的に行ってきた町内行事なのです。このお祭り700は年以上も続く長い歴史を持ったお祭りで、このお祭りを奉納される櫛田神社もそのはるかむかしから「商売繁盛、不老長寿のお櫛田さん」と博多の人々からあつい信仰を集めている神社なのです。
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1)櫛田神社の由来と仮説
祭神は大幡大神(櫛田大神)、天照皇大神、素盞嗚大神(祇園大神)の三神で、正殿に大幡主神、左殿に天照大神、右殿に素盞嗚神が祀られています。

日本全国にいくつかの櫛田神社がありますが、それらの多くが櫛名田姫を主祭神とする神社であるのに対し、この博多にある櫛田神社では櫛名田姫は祀られていません。実は祇園山笠のお祭りが素戔嗚尊(スサノオノミコト)に対する奉納祭であることは以前聞いたことがあったので、この記事を書くまではてっきり櫛名田姫が主祭神であるとばかり思っていました。櫛名田姫は素戔嗚尊の妻ですから。しかし、この神社は、櫛名田姫とは関係なく、主祭神の大幡大神(大幡主命)は伊勢国松坂の櫛田神社から勧請した神とされています。松坂の櫛田神社の祭神の大幡主神が天照大神に仕える一族の神であったことから、天照大神も一緒に勧請されたと伝えられる。天慶4年(941年)、小野好古が藤原純友の乱を鎮めるために京都の八坂神社に祈願し、平定した後に素盞嗚神を勧請したと伝えられています。

しかし、これには,主祭神はやはり櫛名田姫ではないかという異説が合って、そのことがWeb上に上がっていました。
以下は、その仮説です。
****************************************
この仮説では、平清盛が1158年に大宰大弐となり、博多に港を開き宋との貿易を本格化させようとした際、自分の荘園があった肥前(佐賀県)神崎の繁栄を、この博多にももたらす事を祈念して、神埼にあった櫛田神社の勧請を行ったというものです。

このことは、神崎の櫛田宮HPにも以下の説明があるとのことです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kusidagu/enkaku/enkaku.html

「当時の中国(宋)との密貿易も盛んに行われ、有明海から神埼の荘園にも迎え入れた。この荘園を実質治め巨利を独占したのが平正盛・平忠盛であり、その子の平清盛が平家全盛の時代を迎える財政的な基を神埼の地で築いたのである。
その貿易品や年貢米の積み出し港である博多に分社をつくり、櫛田大明神の御加護を祈ったという説が通説となっている。
*福岡市が市制90周年として発行した『福岡の歴史』(昭和54年10月発行)にも詳しく記されている。」

また、福岡市総務局編『福岡の歴史』(1979年)にも、そこには、博多の櫛田神社の社地は清盛の博多新設時の倉敷で、そこに神崎の櫛田神社を勧請したのだろう、との記述があるとのことです。

更に、福岡市の「まるごと福岡・博多」では、こう書いてあるそうです。
「社伝によると創建は8世紀の天平宝字元年(757)。 平清盛が博多を日宋貿易の拠点港とした平安末期に御託宣により鎮祭され、平家の社領肥前国神崎庄の櫛田神社を勧請したものだと考えられています。」

神崎の櫛田宮には、祭神として櫛稲田姫命、須佐之男命(素戔鳴尊)、日本武命(ヤマトタケル)の三神が祀られています。
櫛稲田姫命は、須佐之男命の妻であり、八岐大蛇の生け贄になるのを助けた女神様です。この櫛稲田姫命を祭っているので櫛田宮と呼ばれています。
博多の櫛田神社は、この神崎櫛田神社を勧請したのであれば、祭神は同じく櫛稲田姫命であることが考えられます。
主祭神が、櫛稲田姫命であれば、全国の他の地域にある櫛田神社と同じく、夫である須佐之男命も祀られたのではないかというのがこの仮説です。

では、松阪櫛田神社の勧請はどうしたのかと言いますと、それは祇園の櫛田神社ではなく、早良区野芥にある「野芥櫛田神社」ではないかというのが、この仮説の結論となっています。
http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=8523
*********************************************************

個人的には、この仮説のほうを信じたいという気持ちが強いですね。ネットで三重県松阪市櫛田町にある櫛田神社を調べて見たのですが、かなり小さな神社で、この神社が博多から勧進された理由というのがどうにも分からないからです。また、櫛になってスサノオのヤマタノオロチ退治を助けた櫛稲田姫命というのは中々魅力的なお話で、櫛稲田姫命が主祭神であって欲しいという単純な願いのようなものがあるのかもしれません。

2)スサノオのヤマタノオロチ退治伝説
このスサノオのヤマタノオロチ退治と櫛稲田姫命の伝説とは以下のようなお話です。

神話での記述(Wikipediaより)
高天原を追放されて出雲に降り立ったスサノオは、ヤマタノオロチという怪物に毎年娘を食われているアシナヅチ・テナヅチの夫婦と、その娘のクシナダヒメに出会った。彼らの話によると、もうじき最後に残った末娘のクシナダヒメも食われてしまう時期なのだという。哀れに思うと同時に、美しいクシナダヒメが愛しくなったスサノオは、クシナダヒメとの結婚を条件にヤマタノオロチの退治を申し出た。スサノオの素性を知らないアシナヅチとテナヅチは訝しむが、彼がアマテラスの弟と知ると喜んでこれを承諾し、クシナダヒメをスサノオに差し出した。

スサノオとの結婚が決まると、クシナダヒメはすぐにスサノオの神通力によって変形させられ、小さな櫛に変えられた。そして櫛としてスサノオの髪に挿しこまれ、ヤマタノオロチ退治が終わるまでその状態である。ヤマタノオロチ退治の準備はスサノオの指示で、アシナヅチとテナヅチが行った。

クシナダヒメを頭に挿したスサノオは、見事ヤマタノオロチを退治する。 ヤマタノオロチを退治した後、スサノオはクシナダヒメと共に住む場所を探して、須賀の地に宮殿を建てた。

(櫛に変えられたクシナダヒメがその後どうなったのかは原文では明記されておらず、元の姿に戻ったという直接的な描写もない。しかし、せっかく命を救われたのに無生物である櫛のままだったとは考えにくく、スサノオがクシナダヒメと共に住む宮殿を建てていること、その直後に「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」と詠んでいること等から、ヤマタノオロチが退治された後で無事に元の美しい娘の姿に戻してもらい、約束通りスサノオの妻になったとする解釈が一般的である。)

以下は、そのときの戦いを描いた版画です。左上に描かれているスサノオの戦いを応援する櫛稲田姫命がとてもかわいい。
o0640038812524505608.jpg

天界でさんざん暴れて、一人ぼっちで地上に追われてしまったけれども、家族も国も出来てよかったな、スサノオ。やっぱり普通が一番だ(何のコッチャ)。
この神話から、スサノオが主祭神である神社の御神徳は、厄払いと縁結びとなっていることが多いようです。

厄払いは、こういった勇猛果敢なスサノオの迫力で厄を払う。。
そして縁結びは、櫛名田比売との運命の出逢いが良縁、縁結びの御利益と繋がっているのでしょうね。

3)(クシナダヒメ-櫛名田比売命-奇稲田姫)の名の由来
クシナダヒメは奇稲田姫或いは櫛名田比売と書かれます。 前者の場合、「クシ」を「霊妙、素晴らしい」ととり、続く「ナダ」は稲田を示しているとして、即ちクシナダヒメは豊穣・豊かな稲田を象徴する女神様です。
父母がテナヅチ・アシナヅチであり漢字で示すと手摩霊・足摩霊となり、これらは「手足を撫でる(摩る)」意味を持つことから、「撫でるように大切に育てられた姫」との解釈もあることから、大和撫子(倭撫子)の語源であるともいわれているようです。

神話の中の櫛名田姫はヤマタノオロチに生贄として捧げられる予定だった女神ですが、その女神がヤマタノオロチに生贄として出されるというのは、山の神に「穀物」だとか「生贄」を差し出していたということを表しているのではないかということが、神話の解釈として考えられているようです。

櫛名田姫は稲田の神として信仰されており、全国の氷川神社を始め、様々な神社で祀られている。しかしながら、多くの神社では夫のスサノオと子孫(或いは子)の大国主と共に祀られています。

この櫛名田姫の姿は、出雲国があった島根県にある八重垣神社に、日本最古の神社壁画として以下のように描かれています。
    a0300530_17474610.jpg
現代人の目から見ても、この壁画に描かれた櫛名田姫は美しく魅力的ですね。豊穣の神で縁結びの神でもある櫛名田姫は、昔から多くの人の信仰を集め続けている神様で、その人気は、最近のゲームであるパズドラでも以下のような姿で登場することからも分かります。
Pet804.jpg
更に究極進化した櫛名田姫
2280.jpg
まぁ、こういう萌え化したキャラクターに対する感覚は人それぞれですが、時代が変わるにつれ神様の姿も時代に合わせて変わっていくことは、個人的には別におかしなことだと思っていません。姿かたちにこだわるよりも、たとえどのような形であれ、神様の名前を語り継ぎ、遠い日本人の祖先から続く信仰の思いを途絶えさせないことのほうが大事なことだと考えていますので。

しかし、果てしなく脱線しながら長々と書いてきてしまったのですが、上記の櫛田神社の主祭神が櫛名田姫であるというのは唯の仮説でしかなく、櫛田神社の正式な社伝では、主祭神は大幡大神です。

4)櫛田神社参拝
何だか、とてつもなく話が脱線してきたので、元の櫛田神社参拝へ話を戻します。

1/30に福岡城を訪問した後に、櫛田神社へ参拝しました。
櫛田神社は、福岡市博多区の中洲の手前に位置していて、正に繁華街の真ん中にあるような感じです。てっきり神社は郊外にあるものだと思っていたのでちょっと驚きました。

勇壮な楼門を見上げます。
DSC05195.jpg

楼門の天井に吊り下げられた、干支恵方盤(えとえほうばん)が見えました。まだ、参拝時には年を越していなかったのですが、方位版の干支はすでに猿になっていました。
DSC05210.jpg

楼門を潜って振り返ると、裏側には"博多総鎮守"の額が掲げてありました。
DSC05211.jpg

楼門を抜けると、右手側に手水場、、そして正面に随神門が見えてきます。
DSC05196.jpgDSC05208.jpg

御神牛の像もありました。とりあえず頭をなでて見ました。頭が良くならないかなぁ。いまさらどうでもいいか。
DSC05200.jpg

随神門を潜ると、拝殿に対面します。
DSC05204.jpg

拝殿の右手前には、霊泉鶴の井戸というものがありました。
DSC05206.jpg

拝殿の左手側には「飾り山笠」がありましたが、写真撮り忘れました...

全体にとても華やかな神社という感じでした。大晦日だったので人の数はそれほど多くなかったのですが、元旦は、とてつもなくごった返すのでしょうね。

最後に南神門の写真。
DSC05198.jpg

PS.博多での宿
本当は、食事の写真も載せようと思っていたのですが、相変わらずとてつもなく長くなってきてしまったので、それは次回の記事に回して、今回は宿泊した宿の写真を載せてみたいと思います。
1)博多観光ホテル都
DSC05106.jpg
エヴァンゲリオン車両搭乗+博多一泊の商品で旅行会社がアレンジしたホテルでしたので、このホテル都に一泊しました。
ホテルは博多駅から徒歩5分という便利さで、部屋もビジネスホテルよりワンランク上という感じでよかったです。

しかし、実はこの旅行は、ギリギリまで会社の仕事をしていたので、洗濯をする暇がなく、結局、洗濯が必要な衣類を抱えて旅行に出発という情け無い状態になってしまいました。ホテル到着後、ロビーでコインランドリーの場所を尋ねたけれども、ちょっと恥ずかしかったなぁ。おまけに結局コインランドリーが見つからないという残念な結果で、明後日から着るものが無くなってしまうのでちょっと焦ってしまいました。

2)博多町屋 ゲストハウス界音
DSC05247.jpg
博多での2日目はゲストハウス界音に宿泊しました。受付で、コインランドリーの場所を尋ねると、当然のように複数のコインランドリーの場所を教えてくれました。いやぁ、やっぱり自分にはこう言う宿のほうがしっくりくるかも?
早速、コインランドリーに洗物を押し込んで、その間、近くのスーパー銭湯へ行って来ました。
DSC05245.jpg
普通、ゲストハウスでは相部屋のドミトリータイプを選ぶのですが、今回そちらが満室だったので、仕方なく個室へ宿泊しました。
相部屋より格段に値段は高かったですが、それでもビジネスホテルよりも安かったので、まぁ良いとしましょうか。せっかくの個室でしたので、洗濯が終わり風呂から帰った後は、部屋で仕事をしていました。結局家では仕事が終わらなかったものですから。ここでの仕事は、個室でしたので結構効率よく進みました。それを考えると、個室は正解だったかもしれません。

以下は、界音の中の写真。かなり雰囲気は和風でよかったです。
DSC05253.jpgDSC05256.jpgDSC05260.jpg

次の記事では、博多での食事についてUpする予定です。でも、年末/年始なので、あまり店が開いておらず、残念ながら地元の料理を堪能するまでには至りませんでした。

Comment

[169]

おはようございます。
素晴らしいお城ですね。
はぁ~~といったきり、、
福岡は逗留してみたい場所です。
今は駆け足、またじっくり読ませてください。

[170]

お早うございます、hippoponさん。コメントありがとうございます!

福岡城は、櫓などの遺構の数こそ少ないのですが、残っている石垣は素晴らしく、この石垣を見るだけでも、訪問する価値のあるお城ですよ!また、この福岡城だけでなく、福岡(博多)には地元の美味しい食べ物を食べさせてくれるお店もたくさんあるので、自分ももう一度福岡を訪れてみたいと思っています(今回の旅行は、年末年始に行ったので、多くのお店はお休みでしたので)。

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