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丸岡城訪問
現在の据付工事で、大物の搬入がひと段落した4月の中旬に、友人に会いに金沢へ行く途中で、福井県にある丸岡城に立ち寄ってきました。

丸岡城は、現存する12の天守の中でも最古のものとされていて、もちろん100名城に選ばれており、かねてから訪問したいと思っていたのでした。
1.丸岡訪問
1)丸岡城の歴史
天正4年に朝倉氏を滅ぼした織田信長は、越前の国を柴田勝家に与えました。前の領主であった朝倉氏は本拠を一乗谷に据えていましたが、勝家は山城であり防衛上は優れていても発展性のない一乗谷を捨てて北の庄(現在の福井)に城を築きました。その勝家の移封に伴い、配下の武将も次々に北陸へ入り新城を築きましたが、柴田勝家の甥の柴田勝豊もその一人で、勝豊は天正4年に丸岡の地に初めて城を築きましたが、その時の天守が現在の天守と言われています。その後、城主は次々と代わり江戸時代に入って福井藩から丸岡藩へ所有が変わっても丸岡城は存続し続け、現在に至っています。
1934年(昭和9年)天守が国宝保存法(旧法)に基づく国宝に指定されましたが、1948年(昭和23年) 福井地震のために倒壊。その後1950年(昭和25年) 文化財保護法(新法)施行により天守は重要文化財に指定され、1955年(昭和30年) 倒壊した天守は倒壊材を元の通り組み直し修復されました。
2)丸岡城訪問
北陸自動車道を丸岡ICで降りて、車で10分ほど走ると、丸岡町のほぼ中央に位置する丸岡城に到着します。丸岡城天守は2層3階の小ぶりな感じのする天守ですが、小高い丘の上に築かれ、かつ周りに高いビルなどもありませんから結構遠くから天守の優美な姿を見つけることができますので、迷わず丸岡城へ到着することが出来ます。
訪問した時期は4月中旬で、地元名古屋では既に桜の時期は終わっていましたが、福井の地ではまだまだお花見シーズンが続いており、丸山城でも桜の花がとても綺麗でした。(ただ、満開のの時期は数日前に過ぎてしまっていたとのこと。)

さて、城近くの駐車場に車を止めると、天守に続く道を登って行きます。日本さくら名所100選に選ばれただけあって、両側の桜の木が花のトンネルを作っていてとても見事です。

丸岡城はそれほど大きくないお城なので、直ぐに天守閣が見えてきます。

それでは、早速階段を上って、天守閣内部へ入ってみることにします。

以下は、城の内部。階段は60度以上はある急角度なので、紐を伝って昇り降りすることになります。


最上階へ到着。天気があまりよくないのは少し残念でしたが、街全体が見渡せて良い眺めでした。

丸岡城天守は独立望楼型と呼ばれるものですが、望楼型は天守の建築様式として古いものとされており、丸岡城は日本最古だけあって、この古い様式をよく残しています。
また、丸岡城天守が持っている特徴は、屋根瓦が全て笏谷石と呼ばれる地元の石材で作られていることで、この最上階からはその石瓦をよく見ることができます。上写真の2枚目で、廻り縁の下に鬼瓦が写っていますが、通常焼き物の瓦はもっと黒っぽいのに、白色に近い色であることから、この瓦が焼き物の瓦ではないことが判ります。この石瓦は、焼き物の瓦より重く、その総重量は120tonにも及ぶと言われています。わざわざ重い石瓦が使われた理由については、この丸岡の地が豪雪地帯で冬の寒さが厳しく、当時の陶器の瓦では凍結で損傷して耐えられなかったからだと言われています。しかし、120tonもの重さを、戦国時代と江戸時代を経て、昭和23年の福井地震で倒壊するまで持ちこたえるとは、素晴らしい建築技術ですね!
最上階からの眺めでわかるように、現在の丸岡城は堀を持っていません。しかし、下図が示すように、かつては城の周りを2重3重に巡らす堀があり、また外部から二の丸及び本丸へ入る登城道は、南北の2箇所ありましたが、いずれも枡形空間をいくつか通り、進路を曲げながらでないと本丸方向には到達できないようになっており、小さいながらもよく工夫された縄張りを持った城であったようです。しかし、近代の街の発展に伴い、堀は埋め立てられてしましましたが、それは仕方がないことなのでしょうね。

(本俯瞰図は、余湖様のホームページより転載させて頂きました。)
丸岡城に残っている伝説を一つ紹介します。
「お静の涙雨」伝説
柴田勝家の甥、勝豊が丸岡城を築く際、天守閣の石垣が何度も崩れたので人柱を入れることになりました。二人の息子を持ち、城下で苦しい生活をしていた片目の未亡人お静が、息子の一人を侍にする約束で天守閣の中柱の下に『人柱』として埋められました。天守閣は完成したのですが、その後、勝豊は近江長浜に移ることになり、柴田家も賎ヶ岳の合戦に敗れたり等々、結局お静の子どもは侍になることもなく、約束は反故になりました。
お静の霊はこれを恨み、その後毎年春雨でお濠の水を溢れさせ、人々はそれを「お静の涙雨」と呼び、小さな祠を建ててお静の霊を慰めたとのことです。
下の写真は城郭内公園の天守閣への階段のすぐ横にある「お静慰霊碑」。

(本写真は他ブログ様から転載させて頂きました。)
非常に悲しい伝説ですが、これについて、作家の井沢元彦氏が自著"名城発見"の中で面白い仮説を述べています。
丸岡城の立っている丘には、元々神社が立っていたとのことです。しかし、その土地の神が祀られていた神聖な丘の上に、勝豊は社を退去させて城を造営しました。これは、新しい領主の力を誇示するとともに、その"罰当たり"な行いに反感も買ったのではないかと、井沢氏は推測しています。加えて、柴田氏の大将である織田信長は、"人柱"のような迷信を嫌っており、そのような住民の反感を買うような施策を禁じていたので、この人柱は実際に行われておらず、新しい領主に対する反感が、このような"人柱"伝説を作り上げたのではないかと述べています。
今となっては、この"人柱"伝説が本当かどうかはわかりませんが、こういう考察に想像を広げてみるのも面白いかもしれませんね。
「お静の涙雨」伝説に加えて、今度は逸話を紹介します。
天守閣石垣のそばにある一筆啓上書簡碑

現在、丸岡町は、"一筆啓上の町"、"日本一短い母への手紙"として有名になっています。
それは、初代丸岡藩主本多成重(幼名:仙千代)に由来します。
本田家の祖先で、徳川家康の家臣本多作左衛門重次が長篠の合戦で家を留守にしたとき、その留守宅へ「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」という手紙を出します(お仙とは仙千代のこと)。この手紙が、短いけれども、口下手で朴訥な武士が、家族を思いやった手紙として有名になり、この仙千代が長じて丸岡城主になったことをきっかけにして、上写真の石碑が建てられました。
この手紙を出した作左の子供が、丸岡藩主になったということなので、直接作左と丸岡は関係ないのだけれども、このエピソードを町起こしの材料にして"日本一短い母への手紙"を全国募集するなどを行い、全国にその名を知らしめた手腕はお見事!こういうアイデア勝負はどんどんやって欲しいですね。
さて、丸岡城を離れる前に、もう一度周囲を散策したので、その時の写真を載せておきます。

丸岡城と桜。やはり桜の木とお城は日本のベストマッチですね。


丸岡城周囲の散策路。やはり桜の木が綺麗です。
最後に、ライトアップした丸岡城の写真を載せてみます。金沢から名古屋へ戻る際に、もう一度丸岡へ立ち寄って撮ったものです。



しかし、何だか緑色になってしまったので調べてみると、水銀燈などが光源にあった場合、輝線スペクトルの影響による緑かぶりという現象が起こるらしい。それを修正するにはホワイトバランスというものを調整すれば良いらしいのですが、マニュアルを見たところ我がRX100もその機能を持っていました。orz...。
まぁ、次からはこのホワイトバランスを調整して夜景を撮ってみたいと思います。それだけでなく、やっぱり三脚も必要だな。手ブレがひどすぎる。
しかし、ブログを作るようになってからカメラにこだわり始めたなぁ。それまでは全く写真に興味がなかったのに。まぁ、興味の対象が増えることはいい傾向なのかも。
3)久保田酒造訪問
丸岡城の地元、坂井市丸岡町にある蔵元久保田酒造さんを訪問しました。久保田酒造さんは、なんと宝暦三年(1754年)当時の丸岡城主・有馬 允純(ますずみ)の命により現在地で庄屋をしていた久保田喜兵衛が創業した蔵元さんとのことです。すごいなぁ。

事務所に入ると、壁一面に商品が並んでいました。その商品展示の一角にコミックが並んでいたので何かと聞いてみると、なんとこの蔵元を舞台にしたコミックが出版されているとのことでした。タイトルは"蔵の宿"です。


そのコミック"蔵の宿"の中で開発された日本酒が純米吟醸"蔵の宿"とのことで、今回これを購入してみることにしました。その他、いつものように限定生酒でお勧めを聞いてみたところ袋吊り生搾り純米酒"鬼作左"を勧められたので、これも購入することにしました。鬼作左には限定酒らしく481/700との番号が振られていました。

蔵の宿は、飲み比べをするために、3種詰を選んでみました。
また、この蔵元は予約すれば酒蔵を見学させてくれるとのことで、自分は予約をしていなかったのですが頼んでみたところ、酒蔵を見学させてくれました。以下は、その時の写真です。



予約なしで見学させて頂き、ありがとうございました。
2.金沢訪問
今回の金沢訪問は、金沢城と兼六園での花見が目的だったので、特に櫓などの内部に入ることもなく、のんびりと桜見物を行いました。日頃の仕事で疲れていたので、良い骨休みになりました。また、金沢城以外の場所も今回は巡ってみました。
1)金沢城・兼六園での花見



石川門前の桜の花。丁度満開でとても綺麗でした。桜の花の見頃ということで多くの人が金沢城を訪れていました。

菱櫓と桜の花。

菱櫓から五十間櫓を望む。

菱櫓から二の丸の方へ歩いていく。道の両脇の桜が花のトンネルを作っていました。

二の丸の南側の石垣下の桜の花。


そのまま兼六園へ歩いていく。兼六園内の菖蒲に桜の花が映えてとても綺麗でした。
2)ひがし茶屋街
一度来てみたかったひがし茶屋街。ひがし茶屋街は石畳の道の両側に紅殻格子のお茶屋が並んでおり、江戸時代の雰囲気を残しており重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。

ひがし茶屋休憩館に面した町並み


ひがし茶屋街の風景。キムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが続いています。ただ、何となく古い町並みが保存されているというよりも古い町並みを再現したような感じ?なんというか映画のセットのようでした。う~ん、なんだかなぁ...

茶屋街の中で着物を着た外国人の女性のグループがいたので、声をかけて写真を撮らせてもらいました。金沢は結構外国人の観光客が多かったですね。これも新幹線効果なのでしょうか。

茶屋街の近くを流れる浅野川の岸辺にも桜が咲いていて綺麗でした。
3)吉田酒造店訪問
金沢には"手取川"と"天狗舞"という有名な2つの地酒がありますが、今回は、手取川の蔵元に行ってみました。日曜日なので電話で確認しましたが、酒の販売だけは日曜日も行っているとのことでしたので、安心しました。

ここで、季節限定の純米吟醸 石川門 生原酒 手取川を購入しました。これは限定酒なので、ちょっと楽しみです。

4)金沢での食事
友人曰く、金沢には回転寿司屋がたくさんあり、良いネタを仕入れないと潰れてしまう。例え、チェーン店であっても、ネタがほかの地域とは全く違う。金沢にいくつかの市場はあるが、殆んど観光客用なので、地元の人間はそういう場所に行かないと言われたので、今回はなんとスシローへ行ってきました。

確かに、その理屈は完全に正しく、このネタで100円は安いと思うのだけれども、スシローのロゴが入った皿が絵的にちょっとなぁ...。

そういうわけで、ちょっと奮発して、蟹海老尽くしの特別メニューを注文しました。

さらに追加で、大トロも注文してみました。綺麗にサシが入っていて見た目にも美しく、ひょっとして自分は初めて本物の大トロを食べたのかも。確かに美味かったです。
もちろん、スシローには普段お世話になっているし、美味しいとは思うのだけれども、せっかく遠くまで出かけたのだから、やっぱり次回はもうちょっと風情のあるところへ行きたいなぁ...。もう、自分も歳で、体力的にバイキングより少量でもうまいものを食べたいという傾向になりつつあるので。
昨日、ロケットニュースというサイトを見ていたら、タクシー運転手が選ぶ金沢でうまい店という記事を見つけました。次回は、ここに紹介されているような店にいってみたいですね。
http://rocketnews24.com/2015/04/30/571606/

丸岡城は、現存する12の天守の中でも最古のものとされていて、もちろん100名城に選ばれており、かねてから訪問したいと思っていたのでした。
1.丸岡訪問
1)丸岡城の歴史
天正4年に朝倉氏を滅ぼした織田信長は、越前の国を柴田勝家に与えました。前の領主であった朝倉氏は本拠を一乗谷に据えていましたが、勝家は山城であり防衛上は優れていても発展性のない一乗谷を捨てて北の庄(現在の福井)に城を築きました。その勝家の移封に伴い、配下の武将も次々に北陸へ入り新城を築きましたが、柴田勝家の甥の柴田勝豊もその一人で、勝豊は天正4年に丸岡の地に初めて城を築きましたが、その時の天守が現在の天守と言われています。その後、城主は次々と代わり江戸時代に入って福井藩から丸岡藩へ所有が変わっても丸岡城は存続し続け、現在に至っています。
1934年(昭和9年)天守が国宝保存法(旧法)に基づく国宝に指定されましたが、1948年(昭和23年) 福井地震のために倒壊。その後1950年(昭和25年) 文化財保護法(新法)施行により天守は重要文化財に指定され、1955年(昭和30年) 倒壊した天守は倒壊材を元の通り組み直し修復されました。
2)丸岡城訪問
北陸自動車道を丸岡ICで降りて、車で10分ほど走ると、丸岡町のほぼ中央に位置する丸岡城に到着します。丸岡城天守は2層3階の小ぶりな感じのする天守ですが、小高い丘の上に築かれ、かつ周りに高いビルなどもありませんから結構遠くから天守の優美な姿を見つけることができますので、迷わず丸岡城へ到着することが出来ます。
訪問した時期は4月中旬で、地元名古屋では既に桜の時期は終わっていましたが、福井の地ではまだまだお花見シーズンが続いており、丸山城でも桜の花がとても綺麗でした。(ただ、満開のの時期は数日前に過ぎてしまっていたとのこと。)

さて、城近くの駐車場に車を止めると、天守に続く道を登って行きます。日本さくら名所100選に選ばれただけあって、両側の桜の木が花のトンネルを作っていてとても見事です。

丸岡城はそれほど大きくないお城なので、直ぐに天守閣が見えてきます。

それでは、早速階段を上って、天守閣内部へ入ってみることにします。

以下は、城の内部。階段は60度以上はある急角度なので、紐を伝って昇り降りすることになります。


最上階へ到着。天気があまりよくないのは少し残念でしたが、街全体が見渡せて良い眺めでした。

丸岡城天守は独立望楼型と呼ばれるものですが、望楼型は天守の建築様式として古いものとされており、丸岡城は日本最古だけあって、この古い様式をよく残しています。
また、丸岡城天守が持っている特徴は、屋根瓦が全て笏谷石と呼ばれる地元の石材で作られていることで、この最上階からはその石瓦をよく見ることができます。上写真の2枚目で、廻り縁の下に鬼瓦が写っていますが、通常焼き物の瓦はもっと黒っぽいのに、白色に近い色であることから、この瓦が焼き物の瓦ではないことが判ります。この石瓦は、焼き物の瓦より重く、その総重量は120tonにも及ぶと言われています。わざわざ重い石瓦が使われた理由については、この丸岡の地が豪雪地帯で冬の寒さが厳しく、当時の陶器の瓦では凍結で損傷して耐えられなかったからだと言われています。しかし、120tonもの重さを、戦国時代と江戸時代を経て、昭和23年の福井地震で倒壊するまで持ちこたえるとは、素晴らしい建築技術ですね!
最上階からの眺めでわかるように、現在の丸岡城は堀を持っていません。しかし、下図が示すように、かつては城の周りを2重3重に巡らす堀があり、また外部から二の丸及び本丸へ入る登城道は、南北の2箇所ありましたが、いずれも枡形空間をいくつか通り、進路を曲げながらでないと本丸方向には到達できないようになっており、小さいながらもよく工夫された縄張りを持った城であったようです。しかし、近代の街の発展に伴い、堀は埋め立てられてしましましたが、それは仕方がないことなのでしょうね。

(本俯瞰図は、余湖様のホームページより転載させて頂きました。)
丸岡城に残っている伝説を一つ紹介します。
「お静の涙雨」伝説
柴田勝家の甥、勝豊が丸岡城を築く際、天守閣の石垣が何度も崩れたので人柱を入れることになりました。二人の息子を持ち、城下で苦しい生活をしていた片目の未亡人お静が、息子の一人を侍にする約束で天守閣の中柱の下に『人柱』として埋められました。天守閣は完成したのですが、その後、勝豊は近江長浜に移ることになり、柴田家も賎ヶ岳の合戦に敗れたり等々、結局お静の子どもは侍になることもなく、約束は反故になりました。
お静の霊はこれを恨み、その後毎年春雨でお濠の水を溢れさせ、人々はそれを「お静の涙雨」と呼び、小さな祠を建ててお静の霊を慰めたとのことです。
下の写真は城郭内公園の天守閣への階段のすぐ横にある「お静慰霊碑」。

(本写真は他ブログ様から転載させて頂きました。)
非常に悲しい伝説ですが、これについて、作家の井沢元彦氏が自著"名城発見"の中で面白い仮説を述べています。
丸岡城の立っている丘には、元々神社が立っていたとのことです。しかし、その土地の神が祀られていた神聖な丘の上に、勝豊は社を退去させて城を造営しました。これは、新しい領主の力を誇示するとともに、その"罰当たり"な行いに反感も買ったのではないかと、井沢氏は推測しています。加えて、柴田氏の大将である織田信長は、"人柱"のような迷信を嫌っており、そのような住民の反感を買うような施策を禁じていたので、この人柱は実際に行われておらず、新しい領主に対する反感が、このような"人柱"伝説を作り上げたのではないかと述べています。
今となっては、この"人柱"伝説が本当かどうかはわかりませんが、こういう考察に想像を広げてみるのも面白いかもしれませんね。
「お静の涙雨」伝説に加えて、今度は逸話を紹介します。
天守閣石垣のそばにある一筆啓上書簡碑

現在、丸岡町は、"一筆啓上の町"、"日本一短い母への手紙"として有名になっています。
それは、初代丸岡藩主本多成重(幼名:仙千代)に由来します。
本田家の祖先で、徳川家康の家臣本多作左衛門重次が長篠の合戦で家を留守にしたとき、その留守宅へ「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」という手紙を出します(お仙とは仙千代のこと)。この手紙が、短いけれども、口下手で朴訥な武士が、家族を思いやった手紙として有名になり、この仙千代が長じて丸岡城主になったことをきっかけにして、上写真の石碑が建てられました。
この手紙を出した作左の子供が、丸岡藩主になったということなので、直接作左と丸岡は関係ないのだけれども、このエピソードを町起こしの材料にして"日本一短い母への手紙"を全国募集するなどを行い、全国にその名を知らしめた手腕はお見事!こういうアイデア勝負はどんどんやって欲しいですね。
さて、丸岡城を離れる前に、もう一度周囲を散策したので、その時の写真を載せておきます。

丸岡城と桜。やはり桜の木とお城は日本のベストマッチですね。


丸岡城周囲の散策路。やはり桜の木が綺麗です。
最後に、ライトアップした丸岡城の写真を載せてみます。金沢から名古屋へ戻る際に、もう一度丸岡へ立ち寄って撮ったものです。



しかし、何だか緑色になってしまったので調べてみると、水銀燈などが光源にあった場合、輝線スペクトルの影響による緑かぶりという現象が起こるらしい。それを修正するにはホワイトバランスというものを調整すれば良いらしいのですが、マニュアルを見たところ我がRX100もその機能を持っていました。orz...。
まぁ、次からはこのホワイトバランスを調整して夜景を撮ってみたいと思います。それだけでなく、やっぱり三脚も必要だな。手ブレがひどすぎる。
しかし、ブログを作るようになってからカメラにこだわり始めたなぁ。それまでは全く写真に興味がなかったのに。まぁ、興味の対象が増えることはいい傾向なのかも。
3)久保田酒造訪問
丸岡城の地元、坂井市丸岡町にある蔵元久保田酒造さんを訪問しました。久保田酒造さんは、なんと宝暦三年(1754年)当時の丸岡城主・有馬 允純(ますずみ)の命により現在地で庄屋をしていた久保田喜兵衛が創業した蔵元さんとのことです。すごいなぁ。

事務所に入ると、壁一面に商品が並んでいました。その商品展示の一角にコミックが並んでいたので何かと聞いてみると、なんとこの蔵元を舞台にしたコミックが出版されているとのことでした。タイトルは"蔵の宿"です。


そのコミック"蔵の宿"の中で開発された日本酒が純米吟醸"蔵の宿"とのことで、今回これを購入してみることにしました。その他、いつものように限定生酒でお勧めを聞いてみたところ袋吊り生搾り純米酒"鬼作左"を勧められたので、これも購入することにしました。鬼作左には限定酒らしく481/700との番号が振られていました。

蔵の宿は、飲み比べをするために、3種詰を選んでみました。
また、この蔵元は予約すれば酒蔵を見学させてくれるとのことで、自分は予約をしていなかったのですが頼んでみたところ、酒蔵を見学させてくれました。以下は、その時の写真です。



予約なしで見学させて頂き、ありがとうございました。
2.金沢訪問
今回の金沢訪問は、金沢城と兼六園での花見が目的だったので、特に櫓などの内部に入ることもなく、のんびりと桜見物を行いました。日頃の仕事で疲れていたので、良い骨休みになりました。また、金沢城以外の場所も今回は巡ってみました。
1)金沢城・兼六園での花見



石川門前の桜の花。丁度満開でとても綺麗でした。桜の花の見頃ということで多くの人が金沢城を訪れていました。

菱櫓と桜の花。

菱櫓から五十間櫓を望む。

菱櫓から二の丸の方へ歩いていく。道の両脇の桜が花のトンネルを作っていました。

二の丸の南側の石垣下の桜の花。


そのまま兼六園へ歩いていく。兼六園内の菖蒲に桜の花が映えてとても綺麗でした。
2)ひがし茶屋街
一度来てみたかったひがし茶屋街。ひがし茶屋街は石畳の道の両側に紅殻格子のお茶屋が並んでおり、江戸時代の雰囲気を残しており重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。

ひがし茶屋休憩館に面した町並み


ひがし茶屋街の風景。キムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが続いています。ただ、何となく古い町並みが保存されているというよりも古い町並みを再現したような感じ?なんというか映画のセットのようでした。う~ん、なんだかなぁ...

茶屋街の中で着物を着た外国人の女性のグループがいたので、声をかけて写真を撮らせてもらいました。金沢は結構外国人の観光客が多かったですね。これも新幹線効果なのでしょうか。

茶屋街の近くを流れる浅野川の岸辺にも桜が咲いていて綺麗でした。
3)吉田酒造店訪問
金沢には"手取川"と"天狗舞"という有名な2つの地酒がありますが、今回は、手取川の蔵元に行ってみました。日曜日なので電話で確認しましたが、酒の販売だけは日曜日も行っているとのことでしたので、安心しました。

ここで、季節限定の純米吟醸 石川門 生原酒 手取川を購入しました。これは限定酒なので、ちょっと楽しみです。

4)金沢での食事
友人曰く、金沢には回転寿司屋がたくさんあり、良いネタを仕入れないと潰れてしまう。例え、チェーン店であっても、ネタがほかの地域とは全く違う。金沢にいくつかの市場はあるが、殆んど観光客用なので、地元の人間はそういう場所に行かないと言われたので、今回はなんとスシローへ行ってきました。

確かに、その理屈は完全に正しく、このネタで100円は安いと思うのだけれども、スシローのロゴが入った皿が絵的にちょっとなぁ...。

そういうわけで、ちょっと奮発して、蟹海老尽くしの特別メニューを注文しました。

さらに追加で、大トロも注文してみました。綺麗にサシが入っていて見た目にも美しく、ひょっとして自分は初めて本物の大トロを食べたのかも。確かに美味かったです。
もちろん、スシローには普段お世話になっているし、美味しいとは思うのだけれども、せっかく遠くまで出かけたのだから、やっぱり次回はもうちょっと風情のあるところへ行きたいなぁ...。もう、自分も歳で、体力的にバイキングより少量でもうまいものを食べたいという傾向になりつつあるので。
昨日、ロケットニュースというサイトを見ていたら、タクシー運転手が選ぶ金沢でうまい店という記事を見つけました。次回は、ここに紹介されているような店にいってみたいですね。
http://rocketnews24.com/2015/04/30/571606/
Comment
[86]
[87]
今晩は、ミサカ☆さん、コメントありがとうございます!
本当にお城と桜の花の組み合わせというのは、日本人の心の琴線に触れるものがあるのか、非常にしっくりくる景観ですよね。
金沢の街は、古いものと新しいもののバランスが良くて、すごく好きなのですよね。でも、好きな理由の一番は、花咲くいろはの聖地である湯涌温泉が近くにあるからかもしれません?(汗)
本当にお城と桜の花の組み合わせというのは、日本人の心の琴線に触れるものがあるのか、非常にしっくりくる景観ですよね。
金沢の街は、古いものと新しいもののバランスが良くて、すごく好きなのですよね。でも、好きな理由の一番は、花咲くいろはの聖地である湯涌温泉が近くにあるからかもしれません?(汗)
[88] はじめまして
Aiuto!さん>こちらには初めてコメントさせて頂きます。非常に大作で中身の濃いブログですね。写真も綺麗ですが、お酒も美味しそう(私もこの頃日本酒ちょこちょこやっていますー笑)
私は海外ではパリ・ロンドンあたりに興味があって、ミニチュア作品も別ブログで紹介していますが(実は現地に行ったことはないのですが)、日本の美しさは世界にも誇れるところが、まだまだ多くありますね。そういえば、ヒストリカルフィギアとして源義経を作った時に戦国時代を少し勉強しました。そのフィギア掲載している別ブログのリンクを貼っておきます。
http://blog.livedoor.jp/hal4444/archives/1016445492.html
今後とも宜しくお願いします。
私は海外ではパリ・ロンドンあたりに興味があって、ミニチュア作品も別ブログで紹介していますが(実は現地に行ったことはないのですが)、日本の美しさは世界にも誇れるところが、まだまだ多くありますね。そういえば、ヒストリカルフィギアとして源義経を作った時に戦国時代を少し勉強しました。そのフィギア掲載している別ブログのリンクを貼っておきます。
http://blog.livedoor.jp/hal4444/archives/1016445492.html
今後とも宜しくお願いします。
[89] RE:はじめまして
今晩は、halさん。コメントありがとうございます!
現在、自分は100名城巡りというスタンプラリーのようなものに参加しています。実は、自分は歴史好きではありますが、それ程詳しく知っているほどでもありませんので、100名城巡りをきっかけにいろいろ勉強して、ついでにその城下町の蔵元を訪ねたり、美味しいものを食べたりして、それをブログに紹介出来たらいいなと思っています。
halさんのドールハウスやフィギュアを別ブログ上で拝見させて頂きましたが、すごく精緻な作り込みに思わず息を呑みました。本当に素晴らしいですね!また、新作が出来れば、ぜひ拝見させて頂きたいと思います!
私の方でも、リンクを貼らせて頂きました。(このリンクを張るという操作は初めてでしたので、ボタンを押す時ちょっとドキドキしました。)
こちらこそ、宜しくお願い致します。
現在、自分は100名城巡りというスタンプラリーのようなものに参加しています。実は、自分は歴史好きではありますが、それ程詳しく知っているほどでもありませんので、100名城巡りをきっかけにいろいろ勉強して、ついでにその城下町の蔵元を訪ねたり、美味しいものを食べたりして、それをブログに紹介出来たらいいなと思っています。
halさんのドールハウスやフィギュアを別ブログ上で拝見させて頂きましたが、すごく精緻な作り込みに思わず息を呑みました。本当に素晴らしいですね!また、新作が出来れば、ぜひ拝見させて頂きたいと思います!
私の方でも、リンクを貼らせて頂きました。(このリンクを張るという操作は初めてでしたので、ボタンを押す時ちょっとドキドキしました。)
こちらこそ、宜しくお願い致します。
[92]
こんにちは!
お写真綺麗ですねー!お城と桜の組み合わせがもう、素敵です。
今年は飴ばっかりで桜ほとんど見れなかったので溶けながらながらみてましたヾ(*´∀`)ノ
お写真綺麗ですねー!お城と桜の組み合わせがもう、素敵です。
今年は飴ばっかりで桜ほとんど見れなかったので溶けながらながらみてましたヾ(*´∀`)ノ
[93]
今晩は、nitti00wさん。コメントありがとうございます!
そうなんですよね。桜と日本のお城の組み合わせは本当に綺麗に見えるのですよね。桜の季節には、できるだけ色々な場所に行きたいと思うのですけれども、桜の季節は本当に短いので、それができないところが残念なところです。
そうなんですよね。桜と日本のお城の組み合わせは本当に綺麗に見えるのですよね。桜の季節には、できるだけ色々な場所に行きたいと思うのですけれども、桜の季節は本当に短いので、それができないところが残念なところです。
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http://bonobo777.blog.fc2.com/tb.php/178-2522b18d
綺麗な写真ばかりで凄い和みながら見させてもらいました^^
中でも、ひがし茶屋街の街路は昔を感じさせる風景でとても好きかもです(*^_^*)