Aiuto!の穴

英語の勉強とアニメの感想や日々気になることの日記

萩訪問(その1)

トニー・マラーノ氏の講演会を公聴しに山口県を訪れた際に、萩へ立ち寄りました。

1.萩城訪問(山口県萩市堀内字旧城1-1)
萩城は日本海に突き出た指月山とその麓に広がる三角州の上に築城されました。三角州上なので、萩城は3方を海に囲まれており、陸地を向いた側には指月山を背負うように本丸・二の丸・三の丸を梯郭式に配置し、3重の堀を張り巡らすことで守りを固めました。また指月山上には最後の砦として詰の丸が配置され、萩城は海と山という天然の要害をうまく利用して作られた城でした。
以下は萩城と萩城下町の模型です。
萩城下町模型_small
天守閣は本丸の隅に配置され、5層5階で最上層は高欄を巡らした桃山期の形式の外観を持ち、最下層は石垣より張り出して石落としの機能も備えた実戦的な天守でした。
この天守については、以下のような古写真が残っています。
萩城古写真_small
この萩城も明治維新の後、明治7年の廃城令によって天守も櫓も取り壊されてしまいました。しかし、1951年(昭和26年)に国の史跡に指定され、今は指月公園として整備されています。

1)天守台近辺
DSC00423_small.jpg
二の丸から見た天守台跡。
DSC00428_small.jpg
本丸南の雁木。兵が一斉に石塁上に登るためのもの。
DSC00429_small.jpg
天守台上り口。
DSC00432_small.jpg

2)花江茶亭及び東園(本丸及び二の丸)
DSC00490_small.jpg
本丸跡へ移築された花江茶亭。元は藩主の別邸にあった茶室を明治20年に移築したもの。
DSC00451_small.jpg
花江茶亭から東園へ行く途中の本丸東側石垣。
DSC00456_small.jpg
東園跡。6代藩主毛利宗広によって造園された、萩城二の丸にある藩主遊息の為の回廊式庭園。

3)指月山(詰の丸)
DSC00459_small.jpg
指月山道入口です。
DSC00462_small.jpg
1971年(昭和46年)に指月山が国の天然記念物に指定され、人が手を入れるのは簡単ではなくなったので、山道は鬱蒼とした雰囲気に包まれています。
DSC00466_small.jpg
時々、石段も現れます。しかし、ヤブ蚊がすごく、ちょっと立ち止まるだけで寄ってくるのには閉口しました。
DSC00469_small.jpg
手すりが取り付けられた部分もあるのですが、山道全体はそれ程急峻なものではありませんでした。
DSC00472_small.jpg
登り始めて20分程経った頃、詰の丸の土塀が見えてきました。
DSC00474_small.jpg
詰の丸の入口は枡形虎口になっています。
DSC00477_small.jpg
説明によると、この詰の丸は要害と呼ばれて、二の丸と本丸から構成されているとのこと。
DSC00476_small.jpg
要害の本丸は一段高くなっています。
DSC00478_small.jpg
要害の本丸を歩いていくと、大きな石が右側に見えてきました。
DSC00480_small.jpg
大岩の表面には、石垣用の石を切り出す時に付けられた矢倉(鑿跡)が残っていました。
DSC00481_small.jpg
本丸中央にも、もっと大きな矢倉を残した大岩があり、その下は貯水池になっていました。詰の丸には緯度が無かったので、水をこの貯水池で確保していたとのことです。
DSC00483_small.jpg
詰の丸埋門跡です。詰の丸埋門は詰の丸の本丸東側に位置しています。

4)萩城東側
DSC00491_small.jpg
二の丸土塀と潮入門跡です。二の丸土塀は昭和40年に一部が復元されたものです。中央の石垣の途切れている部分が潮入門跡で、かつては渡櫓門が建っていました。 この二の丸土塀には鉄砲を撃つための四角い穴が開いていたので、銃眼土塀とも言われています。
DSC00501_small.jpg
対岸から見た二の丸土塀。後ろの山は指月山です。

2.萩城の歴史と幕末の志士達
萩城の築城は1604年(慶長九年)に、毛利輝元によって開始されました。輝元は中国8カ国百十二万石の太守でありましたが、1600年(慶長五年)に行われた関ヶ原の合戦で名目上とは言え西軍の総大将だったため、周防・長門ぼ二国三十六万九千石に減封されてしまいました。輝元はせっかく築いた広島城を捨てざろう得ず、新城の候補地として伺いを立てた防府、山口、萩の三箇所の内、家康は日本海側の萩の地を指定したので、この地に築城が開始されたのでした。

関ヶ原の戦いでは、輝元は西軍の総大将でしたが戦わず、一族の吉川広家も東軍に通じ“毛利の領地を保証する”という約束を家康側から得ていました。しかし、いざ西軍が破れると家康は約束を反故にし、毛利氏は上述のように領地を減らされ、さらに新しい領主たちに 既に徴収していた年貢の返還を迫られて困窮、城は萩という日本海側の湿地で不便な僻地に追いやられ、家臣たちも家禄を五分の一に減する他はなく、毛利氏は極度に追い詰められました。
そんな散々な目に遭わされた毛利氏とその家臣には「徳川憎し」「この恨み忘れまじ」の思いが根強く残り、萩城では、毎年新しい年を迎える度に、家臣が「殿、今年はいかが!」と問い、当主が「いや、時期尚早じゃ」と答える問答を正月の儀式として執り行なっていたとのことです。

しかし、この困窮した状況が藩の改革を進め、身分を問わず有能な人材が登用されていくことになります。そして、それから200年後の幕末に、長州藩から綺羅星のごとく有能な人材が輩出されていったのは多くの歴史書が書く通りです。徳川家によって一時は滅亡の淵まで追いつめられた毛利氏の長州藩から300年の後に倒幕の気運が炎のように立ち登ったのを見ますと、権力者の栄枯盛衰というものは、平安時代の昔から変わらないのかもしれませんね。

1)松陰神社・松下村塾訪問(山口県萩市椿東1537 松陰神社内)
萩の地から、維新史の人材が数多く輩出されたことについては、長州藩が長い時間をかけて藩の改革や人材育成に力を注いだことがその理由の一つに挙げられることは間違いありません。村田清風の藩改革による財政再建の成功、明倫館建設に見られる教育制度の充実、「航海遠略策」を著した長井雅楽などの思想家たちの存在などが、後の幕末の志士たちの誕生を導くことになりました。そして、中でも、数多の維新の志士たちを育てた吉田松陰は一際輝く存在で、今でも地元では敬愛を込めて"松陰先生"と呼ぶ方が多いようです。
松蔭は、彼自身の言動のすべてが、強烈な影響を周囲に与えていくタイプの人物であったらしく、彼が人と接すること、それ自体が革命的行動につながっていたといわれます。彼の門下からは、維新の原動力となった高杉晋作や久坂玄瑞、維新以降の日本の指導者となった桂小五郎(木戸孝允)や伊藤博文、山形有朋などが輩出されました。

・松下村塾(国指定史跡)
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松陰神社境内にあり、吉田松陰の叔父、玉木文之進[たまきぶんのしん]が私塾として開いたのが始まりです。もともとは松陰の実家の杉家の物置だった建物で、和室2間に土間が付いただけの簡素なものでした。松陰は1855年(安政2年)に、この杉家に蟄居する事になり、杉家の母屋を増築して、引き継ぐ形で松下村塾を主宰、武士や町民など身分の隔てなく塾生を受け入れました。松陰が指導にあたったのは、謹慎していた幽囚室から通算2年余りだが久坂玄端[くさかげんずい]、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など、明治維新の原動力となった逸材を多く輩出しました。
「吉田松陰」と「松下村塾」の名は門下生達の活躍により、全国に轟き渡り、現在まで語り継がれる歴史上稀に見る奇跡の私塾となりました。

・吉田松陰幽囚ノ旧宅(国指定史跡)
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下田での海外渡航に失敗した松陰は、安政元年(1854)野山獄に入れられ、翌年に実家である杉家に帰され謹慎生活を命じられました。松陰は家族からの勧めもあり幽囚室で孟子などを講じるようになりましたが、次第に多くの若者が参加するようになり、やがて松下村塾を主催するようになります。

・松陰神社
DSC00523_small.jpg
吉田松陰を祭神とする神社で、明治23年(1890年)、松下村塾の西側に土蔵造りの祠を建てたのが始まりです。その後、明治40年に、伊藤博文らの努力によって県社の社格を得て萩城内にあった鎮守・宮崎八幡の拝殿が移築されました。現在の社殿は昭和30年に新しく建てられたものです。

2)伊藤博文旧宅・別邸
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伊藤博文は、天保12年(1841)、現在の山口県光市の農家に生まれ、9歳の時萩に移り、両親とも伊東家に入家し、この家に住むようになりました。安政4年(1857)に松下村塾に入塾し、文久3年(1863)には長州ファイブの一人として英国に留学。明治になり憲法制定に携わり、初代内閣総理大臣になりました。旧宅の隣に建つ別邸は、博史が明治40年(1907)に東京府に建てたものを移築したものです。

その他の萩城下町については、萩訪問(その2)へ続きます。

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