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CROSS CUBの乗車インプレッション(+【訃報】水木しげる先生死去)

長年封印していたバイク乗車禁止の封印を解いて、CROSS CUBというバイクを購入してしまいました。そのバイクの納車後、最初のツーリング先はどこにしようかといろいろ考えていたのですが、犬山城を目的地にすることに決めていました。城好きで、名古屋に住んで10年になるにも関わらず、実は国宝の天守が現存する犬山城をまだ見に行ったことがなかったのです。理由は特にないのですが、まぁ地元だから後回しにしていたということなのだと思います。この近さが、最初のツーリングとして、なかなかうって付けに見えたので、今回のツーリングは自分でも楽しみでした。
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しかしながら、やっぱり15年もバイクに乗っていないと運転の勘が鈍ってしまいダメですね。犬山へ向かう最中に、途中で見事に道を間違えてしまい、かなりの時間ロスが出てしまったので、今回は犬山城見学を断念するというダサい結果に終わってしまいました。しかし、まぁ、来週は確実に週末に臨時出勤があるのでダメなのですが、今年中は、まだまだツーリングに行く機会もあると思うので、焦らずに行くことにしましょうか。

そんなわけで、犬山城へのツーリング記事は書けないのですが、代わりにCROSS CUBへ乗ってみて感じたことをFirst impressionとして書いてみることにします。

1)運転した印象
購入するバイクを選定する際、スクーターを候補から除外していたのですが、CROSS CUBを実際に購入し、運転して気付いたことは、実はCUBというバイクはロードバイクなどよりはよほどスクーターに近いなということです。というより、ギアチェンジ操作を行うスクーターであると言ったほうが正しいかも。

通常のロードバイクは、燃料タンクにまたがり膝でタンクを挟むこと(ニーグリップ)によって体とバイクの一体感が生まれるのですが、CUBにはニーグリップできる場所に燃料タンクはありせんから、ロードバイクでは味わうことができた人馬一体感は味わえないのですよね。
その代わりといっては何ですが、ロードバイクに跨る時に感じる緊張感はありませんし、思いっきりハンドルが切れたり車体が軽いことも相まって、お手軽にどんなところへも入っていける軽快感はあるので便利なことは間違い何のですが。でもこれって、スクーターのキャラクターと全く同じですね。う~ん...。購入前は、もうちょっとロードバイクの味わいがあるのではと期待していたのですが、ちょっと期待したのとは違っていたのが残念ではありました。

2)スピード
現在、慣らし運転中なのであまり無茶はできなかったのですが、大体、4速で時速50km/hで走っている時が一番安定しているような気がします。一応80km/hまで出してみたのですが、60km/hから70km/hまではかなりゆっくりと加速し、更に80km/hまでに速度が到達するにはかなりの時間がかかるので、バイパスのようなスピードの出る路線で車の流れに乗って走るのはちょっとキツいかも。でも、一般道で60Km/h程度で走るには特に問題ありません。走行フィーリングも、70km/hを超えるとフロントの接地感がかなり怪しくなり、振動も激しくなるので、ターゲットとして60km/hまでの安定走行を想定して設計されているように感じました。しかしながら、車の流れに乗って安全に走行するために、あともう10km/hの余裕がほしいところです。

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クロスカブのメーター。一応120km/hまで振っていますが、これについてはツッコミ禁止です。まぁ、これは、ミエというよりデザインのようなものなのですから。

3)ブレーキ
前後共にドラムブレーキであることに不安を感じていたのですが、やはり効きが甘いですね。自分は以前バイクに乗っていたので、その時の癖で、主にフロントブレーキで停止しようとしたのですが、フロントブレーキだけではかなり危ないです。あるときなどは、横断歩道の停止線で全く止まれずかなりオーバーしてやっと停止できたような状況で、かなりアセりました。今までは自分が事故に遭うことを心配していたのですが、こんな状況では逆にこちらが加害側になりかねません。そこで、リアブレーキと併用でブレーキをかけてみたのですが、これならなんとかなりそうです。実は、普通のバイクのリヤ・ディスクブレーキは、ちょっと踏み込むと簡単にロックしてしまうので、今まであまり使っていなかったのですが(一度ロックして吹っ飛びそうになったことがある)、カブではリアブレーキ使用は必須です。ドラムブレーキじゃ、ロックなどしませんですしね。

4)カブのギアチェンジ(2段クラッチシステム+ロータリー式ギアチェンジ)
カブのギアは、スクーターのように遠心クラッチを使うのでクラッチレバーがないのだけれども、走行中にギアチェンジを行う必要があり、それはロータリー式ギアチェンジであるというのは、知識として知っていましたが、実際に乗る前までは、どうもちゃんと理解出来ていませんでした。実際に操作してみればなる程と思うのですが。

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まず、左ハンドルを見てみると、通常のバイクが持っているクラッチレバーがありません(スクーターだと左ハンドルにはリアブレーキのレバーがありますがカブは右足にリアブレーキペダルがあるので左ハンドルには何も無しに)。

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では、クラッチはどのように操作するかというと、車体左側に取り付いているクラッチペダルをつま先や踵で踏み、シーソーのように動かすことでクラッチを操作します。そして、このクラッチ操作には、通常のバイクのようにクラッチレバーを引いてクラッチを切り離すなどの操作は不要です(しかし、スロットルを操作して回転数を合わせるような操作は必要です)。

このクラッチの仕組みを簡単に言うと、発進時は遠心クラッチを使用し走行中はマニュアルクラッチを使うというもので、構造は以下のようになっています。
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発進用のクラッチはスクーターによく使われてるシュー式の遠心クラッチで、エンジンの回転があがるとシューが広がりアウターに接触して動力が伝達するというものです。
そしてギアチェンジは変速用の多板クラッチを押し動力を切断してギアチェンジを行います。このようにクラッチと呼ばれるものが2つ組み合わされているので2段クラッチという名前がつけられています。一言で説明すると、スクーターのクラッチをバイクの一般的なリターン式のギアへくっつけた構造と言えます。

このような図を示されると、ものすごいハイテクな感じがしてしまうのですが、実は構造的にはものすごく基本的なもので耐久性も優れ、1950年代に世に出てから半世紀以上もギアの基本構造は変わってない程の完成度を誇るものなのだそうです。

クラッチの構造の話はこれぐらいにして、今度は、あの有名なロータリー式ギアチェンジの操作について話してみたいと思います。

まず、通常のバイクのクラッチは以下のようなシフト操作になっています。
1→N→2→3→4(シフトダウンはこの逆)

ところが、ロータリー式は以下のように以下のようなシフト操作になります。
N→1→2→3→4→N→1→...(シフトダウンはこの逆)

上記のように、4速の次にシフトペダルを踏み込むとNへ入り、もう一回踏み込むと1へ入るというようにグルグル回るからロータリー式と言われています。しかし、走行中に4速からNへ入るのは危険なので(間違って1足などに入ったら超大変)、走行中4速の次へは、いくらシフトペダルを踏んでも入らないようになっています(逆に、いくら踵でシフトペダルを踏んでも1速の次に入らないようになっています)。

具体的な操作例を出すと、まず1速で走りだしたとします。次に2→3→4と入れていき赤信号で停止したとします。停止したら、もう一度つま先でシフトペダルを踏むと4→Nへ入ります。信号が青になったらまたつま先でシフトペダルを踏むみN→1速で走行を開始します。まさに、ロータリーシフトですね。

しかし、最初は自分も上記のような操作を行ってきたのですが、よくよく考えてみれば、カブの発進は遠心クラッチを使っているので何速で停止してもエンストしません。そこで、通常は3速もしくは4速で走行し、停止直前で踵を2回踏んで2段シフトダウンして、スロットルから手を離して停止し(わざわざNへしない)、発進は1速もしくは2速から行うようにすると、ギアチェンジを煩雑に操作しないで走行できることがわかってきました。そして、この何速で停止してもエンストしないというカブのギアチェンジが何だか面白くなってきたのです。

通常のバイクでは、無造作にクラッチをつないだりすると直ぐにエンストしてしまいます。そのため、半クラッチを使うなどクラッチ操作には細心の注意を払いながら操作を行わなければなりません。ところが、カブの場合は、クラッチレバーも無いところに持ってきて、何速で停止しようが絶対にエンストしないのです。このラフさとタフさに気が付いたあとは、かなり自由にバイクを運転できて楽しかったですね。最初に、乗車姿勢がスクーターとあまり変わらなかったのでちょっとがっかりもしたのですが、カブの運転に慣れてからはそのれ以上にカブの運転感覚が気に入るようになっていました。

このような、ラフでタフなギア操作が可能なクラッチが何故誕生したかというと、1960年代までは免許なしで原付は運転でき、配達用途で片手運転に雪駄履きなんて人が多かったので、片手運転用にクラッチレバーがなく踏むだけでギアチェンジができるもの考案したらこのような構造になったとのことです。

カブには、様々な伝説があるのを聴いたりします。曰く、"エンジンオイルの代わりに、天ぷら油や灯油を使っても走る","カブを耐久試験したら、耐久試験をする機械の方が壊れた","東京から名古屋までの300kmの間に一度も給油せずに走り続けた"などなど...

でも、そういう性能面の伝説もすごいですが、世間のニーズにしっかりと答え、世界中で信頼され愛されるものを作り上げた日本の技術魂にも素晴らしいものを感じてしまいます。

自分も、今後、この伝説のカブのタフさをツーリングで堪能してみたいと思っています!

PS1.フューエルインジェクション
インジェクションと言えば、昔は高級な乗り物にしか採用されなかったものですが、現在では、なんとカブにも採用されていると聞いてビックリしました。2007年施行の排ガス規制に対応するために、バイクのほとんどがインジェクション搭載になったとこことです。
   フュエールインジェクション
ガソリンを効率的に爆発させるにはガソリンを霧状にする必要があります。この作業を、かつてはキャブレターというメカニズムが担当していました。このキャブレターはジェット・ニードルとダイヤフラムによって構成され、ピストンの動きが作る負圧によってガソリンを気化させてシリンダ内に気化ガソリンを送り込んでいました。しかしインジェクションは、スロットルのあけ具合、吸入空気温度、エンジン回転数、排気ガス温度、排気ガスの酸素濃度などをセンサから読み取り、コンピューターの中に記憶されているマッピングという立体グラフと照らし合わせて燃料をシリンダ内へ噴射するので、キャブより精密に燃料管理をすることができます。

以前は、冬の間冬眠させていたバイクのキャブに固形化したガソリンが詰まってしまい、キャブの掃除はバイクの冬眠明けの儀式のように行っていましたが、そんなことはもう無いのかと思うと技術の進歩を感じますね。

PS2.カブのボアアップ
記事の中で、もう10lm/hの余裕が欲しいと書きましたが、なんと、それを簡単に実現することができるカブの109cc→125ccへのボアアップキットがいろいろな会社から出ているようです。

以下は、TAKEGAWA(タケガワ)「ハイパーSステージ125ccボアアップキット」47,800円(税込)と「エンデュランス」の124ccボアアップキット 32,400円(税込)です。(他にもいろいろあるらしい)
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ボアアップを行った方の記事を読んでみると、最高速はそれほど増えないけれども、トルクが上がり走りやすくなったとのこと。馬力が上がると、車体にかかる負荷も増大しバイクの劣化を早めるとの指摘もありましたが、基本的に、自分はサンデーライダーなので、それほど走行距離が伸びるとも思われないのでそこまでシビアに考える必要はなさそうです。そういうわけで、冬を越して春先にはボアアップを行ってみたいと思っています!


【訃報】水木しげる先生死去 93歳

ネットニュースで突然の訃報を知り大変驚きました。
水木しげる

「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるさんが死去 93歳(産経新聞 11月30日)

「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などの人気漫画家で、文化功労者の
水木しげる(みずき・しげる、本名・武良茂=むら・しげる)氏が
30日午前7時ごろ、心不全のため東京都三鷹市の病院で死去した。93歳。鳥取県出身。

11日に東京都調布市の自宅で転倒し、頭を打って入院していた。

大正11年、大阪で生まれ、間もなく鳥取県境港市に移った。早くから絵の才能を発揮し、
13歳で油絵の個展を開き、新聞の地方版に「天才少年」と紹介された。

高等小学校卒業後、15歳で大阪の石版印刷会社に就職したが2カ月で解雇。
美術学校に通った。18年に徴兵され出征し、激戦地ニューブリテン島の
ラバウル戦線でマラリアを発病、空襲で左腕を失った。

21年に帰国し、26年から「水木しげる」のペンネームで紙芝居作家として出発し、
32年に上京。39年、劇画誌「ガロ」の中心作家となり、
40年から「週刊少年マガジン」で「墓場の鬼太郎」を連載、
代表作「鬼太郎」シリーズは「ゲゲゲの鬼太郎」と改題、
43年にテレビアニメ化されて大ヒットし、世代を超える人気キャラクターを生んだ。

平成3年、紫綬褒章受章。8年、日本漫画家協会賞文部大臣賞、
10年、児童文化功労賞を受賞。15年には、手塚治虫文化賞特別賞と旭日小綬章を受け、
22年に文化功労者。妻の布枝さんの自伝「ゲゲゲの女房」を原案にして22年、
同タイトルのNHK連続テレビ小説が放送され、人気を呼んだ。
25年6月には『水木しげる漫画大全集』第1期が配本、現在は第2期が刊行されている。


「日本人は、ねずみ男だ」と語った水木しげるさん(スポーツ報知 11月30日)

以下抜粋

年下の手塚治虫、石ノ森章太郎らと、日本漫画の礎を作った。
「鉄腕アトム」、「仮面ライダー」を生んだ2人の天才に対して、水木は奇才と呼ばれた。
「2人とも、徹夜を自慢していたけど、徹夜に殺されたようなもの。
私は徹夜すると1週間動けなくなる。ベビーのころから眠りに弱かったから、
長生きしてるんじゃないかな。眠りこそ健康のもと。だから水木家は病気をしない。
だいぶ殴られたけど、軍隊でも人より1秒でも長く寝ていたから。
顔が航空母艦みたいになるほど長く寝てるから元気ですよ。
空母ですから、力強いですよ」

 21歳のときに召集令状を受け、南太平洋の激戦地、ニューブリテン島(ラバウル)に出征。
空爆で左腕を失った。戦前、戦中、戦後を生きてきた男は
「日本人というのは、理性的というより、感情的な民族と違いますか。興奮して騒ぐ。
善良だけど、あくせくし、あわてる。でも無駄なエネルギーだった、と
戦争に負けてから知った。そして平和になった」と分析する。

 ねずみ男のように、どこにでも順応できた。
戦地ラバウルで、現地のトライ族と仲よくなった。
「畑をやるし、家も建ててやる、女房も世話するから残れって。
向こうにいれば王様みたいな生活が約束されていたけど、残っていれば、
鬼太郎もねずみ男も生まれなかったでしょう」ラバウルとは今でも交流があり、
「海外に行くと、地元の妖怪が私に飛びついてくる」と笑う。

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自分が子供の頃、日本は(というより世界中が)今よりもっと荒っぽくてアクが強い世の中でした。漫画もアニメもそうで、自分はこの頃の世相を反映しているようなアニメを今でもあまり好きではありません。
でも水木先生の描く漫画やアニメの世界は、怖い中にもどこか飄々とした感じがして、他のエグい作品よりも心惹かれるものがありました。
まだ、色濃く戦争の記憶が残る世の中で、ご自身も戦争で左腕を失う大怪我を負い、それゆえ作品中に戦争の話も出てきましたが、戦争を"悲惨"というより"悲しい"と表現されていたように感じました。とても優しい方だったのだと思います。

心よりのご冥福をお祈り申し上げます。

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これが最後の連載漫画だったらしい。
さすが、水木先生。最後まで飄々とした作品を描いておられましたね。

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CROSS CUB(クロスカブ)の納車

おそらく殆どの方はバイクの”カブ”という名前を聞いたことがあると思います。新聞配達や郵便配達、はたまた蕎麦屋の岡持ち(この頃見なくなったなぁ)など、いろいろな分野で使われている業務用バイクとして有名ですよね。実は、このカブには様々な派生機種があって、50ccだけでなく、90ccや125cc(正確には109cc)の排気量を持った機種もあり、この125ccカブは業務用にも使われますがレジャー用に開発されたカブも存在するのです。今回、自分は、そのレジャー用に開発された125ccカブである”クロスカブ”を購入してしまいました。

下がバイク屋さんで購入前に撮ったクロスカブ。通常のカブより一回り大きくて、最初に見たときはちょっと驚きました。
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でも、なかなかポップな感じがして外見は結構気に入っています。

ナンバーの申請は自分が市役所に行って行いました。バイク屋に車体番号と申請手続きの書類に購入の記載をしてもらい、それを市役所の税務課へ持っていくだけでナンバープレートが手に入りました。あまりに簡単で、ちょっと拍子抜けしたくらい。
税務課ナンバープレート
ただ、この場合、納車は自分でバイク屋まで行って受け取らなければなりませんので、メット抱えて防寒着を着込んだ格好で電車に乗って、バイクを受け取ってきました。15年ぶりにバイクを運転するので緊張もしたし、カブは有名な遠心クラッチを使っているのですがこの使い方に慣れていなかったので、最初は恐る恐るの運転になってしまいました。加えて、購入先のバイク屋は”カブ専門店”を売りにしているお店だったので、その点では安心だったのですが、何しろ名古屋の東側にあるお店だったので三重県都の県境にある自宅までは30km以上離れており、初日からちょっとしたツーリングになってしまいました。まぁ、運転しているうちに遠心クラッチにも慣れて、最後は中々快適に走ってきました。

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自宅前に到着したクロスカブと愛車ランエボX。

自分は、約15年前までバイクを複数台乗り継いできました。しかし、2番目の会社へ転職と同時に、友人へ売却してしまいました。それは引越し先までバイクを持っていくことが難しかったということもありますが、もしバイクで事故ってしまった場合、入ったばかりの新しい会社で周りに迷惑をかけるのが嫌だったからです。実は、自分は最初の会社に勤めているとき、バイクで自爆事故を起こして、なんと3ヶ月も入院したことがあり、同じことを再び新しい会社で起こすわけには行かなかったのです。
この辺の事情は、自分のブログのこの記事にざっと書いてあります。

そのような訳で、転職以降、ずっとバイクに乗ることを自制してきましたが、ここ最近、特に体力的な衰えを感じることが多くなってきていて、体が動くうちに再びバイクに乗りたいという思いが徐々に高まってきていたのですが、ぼんぼり祭り後のゲストハウス宿泊でバイク談義をしてしまったことが最後のひと押しとなってしまったようです。

では、バイクに再び乗ることを決めたあと、どんなバイクにするかでは以下の条件で考えました。
1.スピードの出るバイクはNG
400ccは車検があるので最初から候補から外していましたが、250ccのロードバイクもスピードが出て危ないので最終的に候補から外しました。ではアメリカンはどうかというと、これはかなり自分の嗜好が入ってしまっているのですが、どうにもアメリカンは好きになれなかったのでこれもNGでした。ただ、250ccもダメだというと高速に乗れなくなってしまうけれども、それには今回しょうがないこととして諦めました。

2.スクーターもNG
スクーターそのものに問題はないのですが、スクーターに乗っている一部の人たちに対しては、元バイク乗りが持っている矜持として許せないと感じているのは確かなのですよね。まぁ、半キャップのようなヘルメットで運転している人には、本人の問題なので、事故ったあとはどうなろうと自己責任なのですが、時々ビッグスクーターのタンデムシートに、短パンにサンダルのような軽装の子供を乗せて走っている人などを見ると本気で腹が立ちます。こういう人たちは、事故が起きたあとどうなるかという想像力が決定的に欠けています。こういう想像力のない人たちには"馬鹿"という結論を下していいと思っているのですが、こういう人たちのせいでスクターそのものにも偏見を感じるようになってしまっているのです。何度も言いますがスクーターそのものが悪いと言っているわけではありません。

上記から、選べるものは限られてきてしまい、ほぼ125ccのオフロードしか無くなってしまうのですが、そこで目に付いたのがクロスカブだったわけです。このクロスカブならばスピードも出ないし、見た目も何かおしゃれな感じがしたので、見つけた途端即決な感じでした。ただ、ドラムブレーキのところがちょっとなぁ。いくらスピードが出ないといっても、絶対にドラムブレーキではすぐに止まれないので気を付けなければ。(ちなみに、このクロスカブは見た目重視でオフロード走破性など全く持っていませんが、それは今回求めていませんのでNo problemです)

自分も若い頃は、テクニックを磨きたいなどと思って、ロードバイクとオフロードの2台を持っていたこともありましたが、それは確かにテクニックがあれば危機を回避できて安全という考えもありますが、今はそれ以前に危機の状況に近づかないこと、それは例えばスピードを出さないとか夜間や雨の日は乗らないとかあまり人の多いところは走らないとかで十分回避できるのではないかという考え方になりました(まぁ、スピードに関してはランエボ君があるから十分ということもあるのですが)。

できれば、体が動かなくなる前に、このバイクで北海道と沖縄を走ってみたいですね。きっと、気持ちがいいだろうなぁ。その前に、四国のお城巡りは、このバイクでやってみたいなぁ。まぁ、休みが取れればなのですが。
そして、何とか無事故で(無違反はおそらく無理)日本中を回って、体力的に無理と悟った時点でバイクを降りたいと思っています。それが今自分が一番格好いいバイクの乗り方だと思っているのです。

PS1.自分の中のバイクのヒーロー
バイク乗りには、一人くらいは自分にとってのバイクのヒーローがいるのではないでしょうか。
自分にとっての一番のお気に入りライダーといえば、やはり、かつてのWGP500ccクラスでスズキのΓ(ガンマ)500に乗っていたケビン・シュワンツ選手ですね。

今は、MotoGPと呼ばれる4ストローク車でレースが行われていますが、以前はWGP(World Grand Prix)と呼ばれるレースでそこにある500ccクラスと呼ばれるレギュレーションがバイクレースの最高峰でした。
排気量は500ccながら130kgの車体に200馬力近い2ストロークエンジンを積むマシンはモンスターと呼ばれる一方、2ストロークゆえにタイムを縮めるにはごく狭いパワーバンドを維持しながら走行するテクニックが必要だったため素人では到底乗りこなせないピーキーなマシンだったといわれています。パワーが飛躍的に向上した1988年当時のホンダNSR500を初ライドした王者エディ・ローソンが「このバイクは俺を殺す気か!?」と言ったのは有名な話だそうです。
このエディ・ローソンを筆頭に、当時ウェイン・レイニー、ケビン・シュワンツ、ワイン・ガードナーの4名の有力ライダーがしのぎを削り、4強時代などと呼ばれていました。中でも、ケビン・シュワンツはフライング・テキサンの異名を持ち、そのひょろりと痩身で背の高い体型を生かした変幻自在のライディングは見ていて実にエキサイティングでした。

中でも1989年の鈴鹿GPでのウェイン・レイニーとのバトルはGP史上歴史的なバトルと言えるのは間違いありません。

激しくせめぎ合いながらコーナーリングするシュワンツとレイニー。
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コーナーの立ち上がりで同時にフロントをリフトアップさせる両選手。まさに死闘!
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動画も下へ貼っておきます。



この激闘はシュワンツに軍配があがりました(一説によるとレイニーが周回回数1回間違えていたとも?)。このような激しいレースは今後2度と無いかもしれません。

しかし、シュワンツと激しいバトルを繰り広げたレイニーは、1993年の第12戦イタリアGPのミザノ・サーキットの高速コーナーでハイサイドを起こし転倒。マシンから放り出され頭部からグラベルに落下、第六頚椎損傷の重症を負い下半身不随になってしまいました。当時、1990年から1992年までWGPを3連覇し、名実ともに世界最速の男だったレイニーが車椅子の生活になってしまったことは自分にとってもショックでした。

レイニーが事故で不在となった1993年の第13戦アメリカGPで、「タイトルは事実上シュワンツに決定」と発表されることになりましたが、サーキット上でレイニーを打ち負かすことに至上の喜びを求め続けたシュワンツは、「彼の怪我が治るならタイトルはいらない」との発言を残しました。

シュワンツは、翌1994年はチャンピオンの証であるゼッケン1を掲げて連覇に挑みますが、左手首の怪我という身体のダメージと、最大のライバル、レイニーを失った心のダメージに苦しみ、日本GPとイギリスGPでの2勝にとどまります。

そして1995年は第3戦日本GPを最後に欠場した後、第6戦イタリアGPにて引退を表明。日本GPからの帰途の飛行機内で、レイニーとの話し合いの末、引退を決意したとのことです。

シュワンツが引退したあとは、今まで4強の後の5番手だったマイケル・ドゥーハンが頭角を表し、その後ドゥーハンの時代が来ますが、その頃から自分はGPから興味を失っていきました。

もうひとり、GPライダーの中で、自分にとって強く印象に残っている選手がいます。
それは日本人ライダーで、ノリックの愛称で親しまれていた阿部典史選手のことです。彼は、1995年よりWGPフル参戦。1996年の世界GP第3戦日本GP(鈴鹿)では、1982年のスウェーデンGPでの片山敬済以来の日本人ライダーによる500ccクラスの優勝を飾りました。

その後、2005年よりスーパーバイク世界選手権に参戦の場を移し、2007年より13年ぶりに全日本ロードレース選手権(JSB1000クラス)に復帰を果たし、6戦を終え総合3位。自身のオフィシャルサイトでは10月20日に鈴鹿で行われるレースへの意気込みも記されていました。
しかしながら、2007年10月7日、神奈川県川崎市で500ccスクーター型バイクで走行中、左側車線から突然Uターンしてきたコンビニエンスストア配送用の4トントラックに衝突し、32歳の若さで急逝しました。現場はUターン禁止区域だったため、彼の過失はなく完全なもらい事故で彼は亡くなってしまったのです。これも、いくらテクニックを持っていて法規を守っていても事故に巻き込まれる可能性があることが強く印象づけられ、ショックを受けたことを覚えています。

PS2.ばくおん!
性懲りもなく、アニメネタです。
来年の冬から"ばくおん!"と呼ばれるバイク物のアニメが放映されるとのことです。タイトルからしていかにも"けいおん!"のパロディ風ですが、内容はこんな感じらしい。
  ばくおん1
なんじゃコレwww
てっきりスズキのバイクをディスっているのかと思ったら違うらしく、登場人物の鈴乃木凛は、父親から譲り受けたGSX400Sカタナを愛車としていて超がつくほどのスズキ好きらしい。以下は、そんなエピソード。
ばくおん2ばくおん3
ばくおん4
HAHAHA。でも何となく分かるわ。これは完全にバイク好きしかわからない内輪ネタのようなものだけど、なかなか面白そうです。

そして、この鈴乃木凛の以下のようなフィギュアが出るらしいです。
4a5ecbe370782824870bdd3b9fc3a215.jpg
これはなかなか素晴らしい出来ですね! しかし、その分お値段も高くメーカー参考価格17,000円とのことです。
いやー、本当に高い!高いけどもやっぱり欲しい!ということを悩んだ挙句に結局ポチってしまいました...
本当に、頭がどうかしているよ...

映像で見る横溝正史作品の思い出

前回、津山城、備中松山城の旅行記をUPした際、横溝正史先生の八つ墓村について少し触れましたので、今回はそれつながりで昔良く読んでいた横溝正史先生の作品についてUPしたいと思います。

1.江戸川乱歩、横溝作品の思い出
1)江戸川乱歩の少年探偵団シリーズ
小学生の頃、熱中して読んだ本といえば、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズでした。
このシリーズの時代背景は、まだ戦後が色濃く残り、街のいたるところに家のない浮浪児たちがいる時代となっていましたから、まだ小学生だった私でもかなり昔の話だなと思いながらも、少年が夕暮れ時に怪しい人物を見かけるところから始まる物語などは、一瞬で自分を物語の中に引き込む実に怪しい魅力に満ち溢れていました。特に"大金塊”の"獅子が烏帽子を被るとき~”の暗号文は、未だに全文を覚えているくらい興奮したものです。
少年探偵団―少年探偵 大金塊サーカスの怪人

少年探偵団シリーズは26巻あり、27巻以降は乱歩原作、もしくは乱歩が海外小説から着想を得た翻案作品(この翻案というのは現在の感覚から照らし合わせるとかなり微妙な感じです。但し、その当時はそういうものが許されていたのでしょうね。)を他の作家がジュブナイル用に書き直したリライトシリーズと呼ばれるもので、それは46巻まで続きます。

27巻以降は、冒頭いきなり殺人とかが起こったり、非常に重い復讐譚のような話も有り、小学生の自分にとっては衝撃が強すぎる物語も多かったような気がします。(現代なら、ジュブナイルものとして出版するのはおそらく無理でしょう。)
しかし、その怪しくもおどろおどろした世界は、それでもなお自分の心を惹きつけ続けました。
魔術師地獄の道化師白い羽根の謎

このリライトシリーズの中では、特に"魔術師"や"地獄の道化師"が印象深かったと思います。復讐の方法などは子供の自分にとってはトラウマになってしまうほど恐ろしいものでしたが、犯人がその犯罪を犯さざろう得なかった悲しい動機は、幼心にも理解出来ました。倫理的な点に於いて、何が善で何が悪なのかという線引きは大人になった今でも非常に難しいものなのですが、悪いことを行ったように見える側にも事情はあるという価値観の広がりは、ちょっと大げさかもしれませんが、このシリーズを読んで得たものかもしれません。

2)角川映画”犬神家の一族”
江戸川乱歩の前述のシリーズ全46巻を読み終えたあと、翻訳者のホームズやルパンのシリーズを読み始めたのですが、どうにも味気なく乱歩シリーズを読んだ時の興奮は全く得ることができませんでした。翻訳調の乾いた文体も面白くなかったということもあるのですが、やはり、乱歩シリーズで人の心の濃厚な動きの表現を知ってしまった後では、只の推理だけでは、何か物足りなかったのです。そして、中学に進級してからも特に読みたいものが無いような状態が続きましたが、そんな中に登場してきたのが、角川映画”犬神家の一族”でした。

TVのCMで流れた、怪しくも美しい"犬神家の一族"のテーマ曲のバックで流される湖面からニョッキり現れる2本の足の映像は強烈で、始めて見たときは本当に心臓がドキドキしました。
この映画は大ヒットしましたが、自分はまだ中学生で、この映画を映画館までへ見に行くことはありませんでした。しかし、映画館へ行く代わりに、自分はその時初めて横溝正史の文庫本を手に取りました。(その時の作品は、"女王蜂"です。)それまで、横溝正史の文庫の存在を知っていましたが、表紙のイラストが中学生の自分にとってはエロすぎて手に取るのをためらっていたのです。しかし、女王蜂"を読み始めるとすぐに、こういう物語こそ、乱歩作品の後、自分が読みたがっていた作品であることがわかりました。時代背景は戦争前後と若干古いけれども、乱歩譲りのおどろおどろしさはそのままに、物語の細部はよりリアリティを持って描写され、尚且、人の心の濃い動きが描かれる物語がそこにはあったのです。それ以降、自分は、手当たり次第横溝作品を読んでいくことになります。

2.映像で見る横溝作品
大ヒットした、映画"犬神家の一族"の後、横溝映画の第2弾として"悪魔の手毬唄"が封切られましたが、その同じ日にTVのTBS系列で"横溝正史シリーズ"の放映が始まりました。このシリーズはTV番組なので、当然映画よりは低い予算で制作されましたが、各場面によっては、映画を超えると思われるようなクォリティーを持った素晴らしい番組でした。

このシリーズは、犬神家の一族、本陣殺人事件、三つ首塔、悪魔が来りて笛を吹く、獄門島、悪魔の手毬唄の計6作品で構成されていましたが、以下にこのシリーズを元に映像化された横溝作品について紹介していきたいと思います。

1)犬神家の一族
  犬神家の一族_表紙
  【放送年月】1977/04/02~04/30(全5回)

那須湖畔の本宅で信州財界の大物・犬神佐兵衛が莫大な遺産を残してこの世を去った。佐兵衛は、遺産分配に関する遺言状を残していたが、その遺言状の公開を堺に、犬神家の一族の間で陰惨な連続殺人事件の幕が切って落とされのであった-。

TV版は、犬神邸の和洋折衷な造りの豪奢さをよく再現していましたが、さすがに屋内のセットの重厚さでは映画版に軍配が上がる場面が多かったと思います。しかし、TV版の良さは、1時間枠5話という映画よりも長い放映時間で、丁寧に物語を描くことができることで、原作者の横溝正史先生自ら、「原作に忠実で、構成もしっかりしているうえに、監督も一流ならキャストも映画に劣らぬ豪華さであり、またある部分では映画より優れていると思われる節もしばしばあった。」と書き記しているほどよくできた内容でした。個人的には、松子夫人役の京マチ子さんの演技は素晴らしかったと思います。
また、特筆すべきは、このシリーズから古谷一行が金田一耕助役に抜擢されたことで、映画の石坂浩二とは違った庶民的な雰囲気の金田一耕助として、このシリーズの顔として定着しました。個人的にも、この古谷一行金田一耕助が自分の中で一番しっくりきます。
犬神家の一族1_small犬神家の一族2_small
遺言公開(TV版)の場面と京マチ子さんの鬼気迫る演技。
また、TV版のエンディングテーマ"まぼろしの人"は、本当に作品に良く合っていて、この曲を聴くことが毎週楽しみでした。Youtubeに、この"まぼろしの人"がUPされていたので、Linkを貼っておきます。


一方の映画版は、さすがに制作費もかかっていますし、なによりも大野雄二さん(ルパン3世の音楽も作っている人です。)の音楽が、旋律も美しく、かつ非常に垢抜けした感じがして、非常に印象的でした。それが市川崑監督の素早いカット割りをいれたスタイリッシュな演出によくマッチして、純日本風の映画にも関わらず非常におしゃれな感じがしました。そして、このおしゃれ感は、ストーリーの重苦しさを中和して絶妙の雰囲気を醸し出す効果を生んでいました。やはり、この映画は、横溝映画の中でも最高峰の一つと言えると思います。
犬神家の一族_映画6_small犬神家の一族_映画4_small
やはり、映画の画面はTV版に比べると重厚かも。珠代役の島田陽子さんも実に綺麗だった。(しかし、後でかなり変わった人個性的な性格の人だったと知ってちょっとショックだった...)
犬神家の一族_映画5_small
犬神家の一族といえばやはりコレ。この凄惨美を演出した市川崑監督の手腕は凄いと思う。

2)本陣殺人事件
本陣殺人事件_表紙
  【放送年月】1977/05/07~05/21(全3回)

旧本陣の末裔・一柳家の屋敷で、長男・賢蔵と久保克子の婚礼が執り行われていた夜、離れに引き上げた2人が日本刀で惨殺され、足跡の残っていない庭の中央に凶器の日本刀が突き刺さっているのが見つかった。この日本式密室殺人事件に金田一耕助が挑む-。

このTV版本陣殺人事件のすごいところは、この密室トリックを完全に映像化して見せたところで、その映像としての完成度は、2年前の1975年ATGによって制作された映画版本陣殺人事件より優れていると自分は思っています。TV版のオリジナルとして糸子刀自のエピソードが追加されていますが、原作はどちらかというとトリック主体の非常にシンプルな中編小説だったので、これは旧家の内側の人間関係に膨らみを与えた良いエピソードだと感じました。
本陣殺人事件5_small本陣殺人事件4_small本陣殺人事件3_small

3)三つ首塔
三つ首塔_表紙
 【放送年月日】1977/05/28~06/18(全4回)

13歳のときに両親を亡くし、伯父の英文学者である上杉誠也にひきとられた宮本音禰は、突然、遠縁に当たる老人の百億円に近い財産を、高頭俊作という見知らぬ男と結婚することを条件に譲られることになっていることを告げられる。その1ヵ月後、上杉伯父の還暦祝いの夜に、殺人事件が起こるが、それはこれから起こる連続殺人事件の最初に過ぎなかった-。

横溝正史の作品は、岡山県の地方の閉塞性が引き起こす事件と戦後の東京の闇市を舞台にした事件が良く描かれますが、この三つ首塔は後者の代表作で、終戦直後の統制のない時代を背景にしたものすごいエログロ描写があります。

TVシリーズでも、戦後の闇市の爛れた雰囲気をよく表していましたが、中でも米倉斉加年、小松方正、小池朝雄、そしてピーターのエロ怪演はすごいものがありました。そして、そんな中、ヒロインの真野響子さんは清純そうな雰囲気で実に綺麗でした。(相手役の黒沢年男は少し男臭すぎたかな?)
本作は、横溝正史にしては珍しくロマンス物のようなストーリー展開ですので、推理色はあまり強くありません(というより犯行に無理ありすぎ)。でも、横溝正史の異色推理ロマン物として、これは一見の価値ありですよ!
三つ首塔1_small三つ首塔2_small三つ首塔4_small

4)悪魔が来りて笛を吹く
悪魔が来りて笛を吹く_表紙
  【放送年月日】1977/06/25~07/23(全5回)

天銀道事件で、容疑を受けた椿英輔・元子爵は、失踪後遺体で発見された。しかし、椿子爵は謎の遺書を残しており、夫が生きているかもしれないと怯える母を宥めるため、娘の美禰子は、父が本当に生きているのかどうかを占う、砂占いに出席するように金田一耕助に依頼した。そして、金田一耕助が椿邸を訪れたその日から世にも陰惨な連続殺人が幕開けるのであった-。

この作品は、1979年に東映でも西田敏行が金田一耕助役で映画化されていますが、その作品の出来として、自分は断然こちらのTV版に軍配をあげます。
このTV版の良さは、なんといっても作品のいたるところで使われるフルート曲"悪魔が来りて笛を吹く"の素晴らしさです。原作では、どこか調子の狂った呪いと憎しみの気にみちみちたメロディーと述べられていますが、このTVシリーズでは、この記述にうまく合った旋律を作り出し、かつ若干聞きやすい曲に仕上げており、この曲のうまさには思わず唸りました。作品の中では、この曲をアレンジしたBGMが随所に効果的に使われ作品の重い雰囲気をよく伝えていました。また、このTV版は作品の最後で、大きな原作の改変を行っていますが、これは最後まで暗いこの作品に若干の救いを与えるようなうまい改変だったと思います。最後は犯人の告白の場面がありますが、犯人が犯行を行なわざろうえなかった心情を見事に表したすばらしい演技でした。個人的には、悪魔の手毬唄と並ぶシリーズ双璧の作品です。
悪魔が来りて笛を吹く7_small悪魔が来りて笛を吹く6_small

5)獄門島
獄門島_表紙
  【放送年月日】1977/07/30~08/20(全4回)

金田一耕助は、引き揚げ船内で死んだ戦友・鬼頭千万太の手紙を届けるため、千万太の故郷・獄門島へと向かっていた。「俺が生きて帰らなければ、3人の妹達が殺される…」千万太が息を引き取る前に残した言葉通り、金田一が島を訪れたその日から、島では凄惨な連続殺人事件が巻き起こるのだった-。

獄門島が横溝正史作品中最高傑作であることは、ファンの多くが認めるところでしょう。いわゆる見立て殺人というものを私は、この獄門島で初めて読みましたが、その時の受けた衝撃たるやものすごいものがありました。今でも、見立て殺人というのは1つのジャンルのようになっていますが、この手のものが好きな人にとっては、見立て殺人というものは本当に美しく甘美なものなのです(わからない人にはわからないと思いますが)。獄門島の素晴らしさは、この見立て殺人を、その凄惨美だけでなくトリック及び犯人の必然性とを全てリンクさせたことです。つまり、この見立て殺人は、ただ人を驚かせるためのものではなく、それぞれの見立てにちゃんと意味とトリックがあり、そのトリックは犯人を隠すためにうまく機能していたのです。そして、もちろん俳句による見立て殺人そのものの美しさも素晴らしいものがあります。自分は、感激のあまり見立ての元になった3つの俳句全てをを暗記してしまい、未だにそれらを暗唱することができるくらいです。

ただ、残念なことに、獄門島のTV版は、このシリーズの中で一番ショボイ出来で、自分はほんとうにがっかりしました。音楽も煩いだけだったし、脚本も役者の演技も全て、今ひとつに感じました。どうしてこうなっちゃったんだろう...(しかし、さっきAmazonの評価を見たら、シリーズ最高傑作と書いている人がいました。やっぱり、こういうのは人それぞれなのかなぁ。)
この獄門島には、市川崑監督の映画版"獄門島"があるのですが、ちょっと問題があるのです。映像は市川崑作品らしく素晴らしいのですが、何と犯人を変えてしまっているのです。先程、この見立て殺人は、全て犯人を隠すためのトリックを持っていると書きましたが、犯人を変えてしまっては、そのトリックの意味がなくなってしまいます。何故、市川崑監督ともあろう人がこのようなことをやってしまったのか理解に苦しみます。そういうわけで、残念ながらこの獄門島は未だに自分が好きになれる映像化はされていません。

獄門島2_small獄門島4_small

以下は映画版の画像。あと番外編として坂口良子さんのカット。坂口さんは市川崑版の映画に役を変えていつも登場していましたが、どれも明るい役で、映画にいいアクセントをつけていました。早くに亡くなられてショックでした。ご冥福をお祈りいたします。
獄門島_映画3_small獄門島_映画5_small

6)悪魔の手毬唄
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【放送年月日】1977/08/27~10/01(全6回)

金田一耕助が1ヶ月ばかり静養するために、鬼首村の温泉宿「亀の湯」へ宿泊中、用事で山向こうの総社の町に向かう途中、「亀の湯」で知り合った村の老人の放庵の5番目の妻、おりんと名のる老婆と峠道ですれ違う。
一方、村出身の人気歌手・大空ゆかりが里帰りをして、その歓迎会が開かれる夜、村の娘泰子が行方不明になり、それは鬼首村で起こる連続殺人事件の幕開けとなるのであった-。

横溝正史シリーズ1期目の最後を飾る作品にして、"悪魔が来りて笛を吹く"と双璧を成すシリーズ中1、2を争う傑作。この”悪魔の手毬唄”には、このシリーズの始まりと同時に封切られた、市川崑監督の同名映画がありますが、自分はこちらのTV版に軍配をあげます。

このTV版”悪魔の手毬唄”の良い所は、映画版と違い長い放映回数を使って、丁寧に話を進めているところです。村の2大勢力の対立や過去に起きた惨劇とその事件に関わった村人の関係などを、急がずじっくりと描いていくことで、物語にリアリティが生まれていました。BGMも静かなものが多く、手毬唄の曲をアレンジした曲も効果的に使われ、作品の雰囲気を盛り上げていました。(ちなみに、自分は映画版とTV版の両方のメロディで手毬唄を歌うことが出来ました。何の自慢にもならないのですが...)。事件が解決したあとの、金田一耕助が語る”ボタンの掛け違い”による、犯人が犯行を行わなければならなかった理由と、犯人がわかったあとの日和警部のそれによって傷つく人をかばおうとする思いやりにはグッとくるものがあります。もし、横溝正史作品に興味がある人であれば、このTV版”悪魔の手毬唄”は絶対にお勧めします。この作品は、横溝作品が持っている、人間の業や悲しみへの深い洞察と労わり、そして物語終了時の視聴者に与える余韻を余すことなく表している傑作であると思います。

悪魔の手毬唄1_small悪魔の手毬唄5_small悪魔の手毬唄2_small
青池リカ役を演じた佐藤友美さんは実に美しかった。

この”悪魔の手毬唄”で横溝正史シリーズは完結するのですが、この半年後に、横溝正史シリーズⅡが始まります。
しかし、半年後ではいかにも準備期間が短く、内容的にとても納得いくものではありませんでした。(強いて面白かったものを上げれば、真珠郎暗いかもしれません。)

横溝正史作品の映像は、上述以外にも、松竹の"八つ墓村"は、大ヒットしましたし、市川崑監督作品の金田一ものは、"女王蜂","病院坂の首縊りの家"と続き、その他、鹿賀丈史版金田一耕助の”悪霊島”などいろいろ続きますが、ここでは割愛することにします。

3.横溝作品以降の読書
 主な横溝作品を読み終えたあと、新本格と呼ばれる作品が出てきました。実は、そもそも横溝作品はもう古いということで、松本清張や森村誠一などの社会派推理小説とよばれるものが、当時の売れ筋でした。つまり、名探偵はもう必要なく、一般の刑事が主人公で、よりリアリティに重点をおいた物語が主流だったのです。新本格派は、そんな社会派に対抗して、もう一度名探偵を復活させようというもので、島田荘司氏の”占星術殺人事件”と”斜め屋敷の犯罪”は読んで衝撃を受けました。また、アニメファンの間では”Another”で有名になってしまった綾辻行人氏の”館シリーズ”や”霧越邸事件”なども読んで面白いと感じました。
占星術殺人事件  斜め屋敷の犯罪霧越邸殺人事件

しかし、この頃から、推理小説というジャンルがあいまいになってきて、ミステリーと総称されるようになってきたように思います。今まで無かったような色々なタイプの物語が増えて、新刊が出るのが楽しみな時代でした。その頃から読み始めた作家さんたちは、宮部みゆきさん、篠田節子さん(個人的に一番好きな作家さんです)、大沢在昌氏、真保裕一氏、貴志祐介氏、東野圭吾氏、奥田英朗氏などで、面白いと評判になった本は結構読みましたね。その頃は、数年後に自分がアニオタになってしまうとは想像もついていませんでした。 まぁ、それについては全く後悔していませんが。

最後に、現在の会社へ入社してからは、殆ど本を読まなくなってしまったのですが、読書に関してひとつだけ夢というか目標があります。それは、東野圭吾氏の”容疑者Xの献身”の英訳版を読んでみることです。
容疑者Xの献身_small
実は、もうすでに購入してしまっているのですが、これが夢で終わるのか現実にできるのかは、今後の自分の勉強しだいというところでしょうね。(ちょっとだけ読んでみたら文章そのものは結構読みやすかったので、結構いけるかもしれません。ちなみに、途中まで読んだ、"涼宮ハルヒの憂鬱"英訳版は学習用としては良くありませんでした。少なくとも英語の勉強に使うには、オリジナルの文章が、英語学習に向いていないのは間違いないと思います。)

時計の話

自分の数少ない趣味の中には、時計の収集も入るのかもしれません。
とは言っても、収集した時計の数も多くないし、語るほどの知識も持ち合わせていません。
そもそも、十年ほど前くらいには、時計には全く興味を持っていませんでした。この時計収集の趣味は、今から十年程前にあることが起きて、それがきっかけで始まったものなのです。

覚書の意味を込めて、そのきっかけの件から書いていこうと思います。

1.本編前の長い前振り(パチンコ&スロットの話)
1)その1(学生時代:羽根物)
 理系の大学生だった自分は、暇なときには時々パチンコに行っていました。その当時のパチンコは、今のようにデジパチではなく羽根物と呼ばれるものが主流でした。デジタルの数字が揃うと大当たりのタイプでは無く、Vチャッカーに玉が入ると役物が羽のように開いて玉を集めるタイプのヤツです。その当時、自動玉補充機のようなものがなかったので、各台の中にストックされている玉が出切ったら打ち止めで、多くても\8,000程度の勝ちというのどかなものでした。今思い返してみても、学生時代にパチンコで負けたという思い出はあまりありません。パチンコのやり方も、気に入る台を見つけるまで、\100投入して釘と役物の状態を調べながら蟹歩きして、気に入った台を見つけると打ち止めるまで粘るというやり方で、本当に殆ど負けませんでしたね。(でも買っても\5,000-\8,000くらいでしたが)
そんな中で、自分のお気に入りの羽根物はスタジアムという台でした。これは羽根物の中でも大当たり中に打ち手をハラハラさせる演出があるよく考えられた台でした。
スタジアム_2  スタジアム役物_small
   スタジアム         スタジアム役物

2)その2(社会人開始の頃:デジパチ)
 自分が会社へ入社し社会人になったころから、急速にデジパチが普及しだしました。自分も社会人になってかなりお金を自由に使えるようになり、のめり込むようにパチンコをやりだしたのがこの時期です。学生時代にパチンコで負けるという経験があまりなかったことも災いしてしまいました。ともかく、このあたりから道を誤りはじめなたのは間違いありません...。
また間が悪いことに、自分が社会人になった頃から、デジパチはより過激な連チャン機が登場し出し、それが自分のパチンコ好きを加速させてしまいました

最初の連チャン機は保留玉連チャンと呼ばれるもので、大当たり終了後の保留玉の大当たり確率が上がるものでした。その代表機種には三共のフィーバーパワフル夢夢ちゃんシリーズやフィーバーマキシムシリーズがありますが、夢夢ちゃんの場合は、保留玉の2番から4番目までが大当たり確率の1/16への書き換え、マキシムの場合は保留玉1番目のみ大当たり2段階抽選の1番目をスルーして大当たり確率が1/5になることで連チャンが発生しました。マキシムはマイナー機種でしたが夢夢ちゃんは大ヒット機種で、自分はこの2機種をよくやりましたね。
フィーバーパワフル-2  フィーバーマキシム
 フィーバーパワフル    フィーバーマキシム

でも、こんなわかりやすい連チャンではマズイと思ったのか、もっと巧妙に仕組まれた連チャン機が出現し始めました。
その仕組みは、違った大当たり確率のモードを複数作り、大当たり終了後、ランダムにそのモードを移行するというものでした。その機種で有名なのは西陣の"春一番"、平和の"綱取物語"になります。
両機種はホールでも人気機種になりましたが、中でも、"春一番"は、パチンコ解析雑誌「パチンコ必勝ガイド」の解析で永久連チャン打法が編み出され、これを元に「春一番」を専門に打つプロ集団「梁山泊」が全国のホールを荒らし回って億単位の金をを稼ぎ出した(と言われた)ことでも有名になりました。ただ、この永久連荘打法は体感機を使うもので、素人ができるようなものではないと自分は思ったものです。その前に、液晶がショボかったので自分は殆ど打たなかったのですが。
また、"綱取物語"は、攻略法こそなかったのですが、朝一のリセット時には、確率が通常モードにいたので、運がよければ大当たり後に天国モードに行けると、導入当初はよく打ったのですが、やはり保留玉連チャンのアツさには敵いませんでしたね。夕方にほとんどの台が地獄モードに落ちてシマがガラガラになってしまうというのもイマイチでした。
春一番  綱取物語
     春一番          綱取物語 

しかし、ここに自分の中では最後の攻略法が通用すると思われる機種が登場しました。それが平和の"ブラボーキングダム"です。
大当たり確率は一応225分の1でしたが、実際は大当たり確率25分の1の天国モードが1つと、大当たり確率0の地獄モードが8つ、計9個のモードで形成されており、225分の1とは名ばかりで、ハマると底なしの荒くれマシンでした。
しかし、この機種のモード移行は、保留ランプが3個以上点灯した状態で外れリーチがかかれば移行し、連続回しなら一度でも3個目のランプが点けばその後のリーチで移行するということが、パチンコ雑誌の解析からわかりました。

これを逆手にとった攻略が単発回し攻略で、大当たり後保留ランプを2個以上点灯させない様に打つ事で天国モードを維持する事が出来ることが解析からわかったのです。問題になるのが大当たり消化後の保留ランプで、ここで外れリーチさえ起きなければ天国モードを維持し、100%連チャンを獲得出来たのです。保留で外れリーチが来る確率は約25%ですから、大当たり終了後75%の確率で天国モードに入り、天国モードへ入ったら単発回しをする事で確実に連チャンをゲット出来る夢のような連荘促進打法でした。
この台は、導入時から異常に釘が甘くよく回り、しかも回る割には全く大当たりを引かないので妙な台だと思っていたのです。それも攻略法を見て納得しました。要は回れば回るほど出なくなる台だった訳なのです。
この攻略法は”キングダムの単発回し”として、瞬時に全国に伝わりました。なにしろ、他の攻略法に比べて極めて簡単で誰にでも出来たからです。しかし、この攻略法が出たとたん、あれほど大甘だった釘が今度は極端にキツくなり、最初の大当たりを引くことができなくなってしまいました。(大抵の攻略法は、まず自力で大当たりを引かなければなりません。)結局、最初の大当たりを引くまでに何万円もかかってしまい、全然面白くないので、数回試みた後(結局大当たり出来なかった...)この台で遊ぶのをやめてしまいました。でも、この”キングダムの単発回し”は本当に懐かしいですね。この打法が流行っていた時、単発回し禁止の張り紙をした店があったことなどを未だに覚えています。
しかし、登場するデジパチに必ず何らかの連荘機能があり、ほとんどの機種にそれを誘発する手順が存在したという、本当に夢のような時代でしたね。

でも、この夢の時代もある一つの事件が起きて幕を閉じることになります。それが保留玉連チャン機の平和の"ダービー物語"事件です。このダービー物語の連チャンは大当り中のアタッカーVゾーンへの5個以上連続入賞させる事によって、保留玉3~4個目にメモリーの書き換えが行われ発生しました。実は、この台のプログラムには、アタッカーのVゾーンに入った玉を逐一カウントする「V入賞カウンター」なるものが付いていたのです。V入賞カウンターには、以下の三つの大きな特徴があり(1)入賞をカウントできるのは、最大5個まで、(2)2秒おきに、カウンター値は自動的にマイナス1される(但し、最小値は「0」)、(3)カウンターが最大値の「5」になると、保留エリアの3,4個目が強制的に上書きされるということで、あの香ばしい連チャンが引き起こされていたのでした。
この連荘をより発生しやすくするために、アタッカー上の釘を曲げて調整するホールも出てきましたが、これが警察当局の標的となり、当時は逮捕者まで出る事態となってしまいました。それを受けて日本遊技機工業組合から連チャン機自粛が発表され、ホールから一斉に撤去される事になってしまいました。
ブラボーキングダム-2  ダービー物語
 ブラボーキングダム     ダービー物語

"ダービー物語"が標的にされた理由としては、この連チャンにはホール側の釘調整ということが必要になり、保通協での検査時とホール設置後の挙動が明らかに違うとのことが考えられますが、この事件が当時不人気だったCR機の普及を後押しするようになるとはなんとも不快な気分になる話です。なぜならば、CR機とは、連荘を規制する側の保通協が、普及促進のために連荘を認めた機種だからです。この流れを見てみると、憶測でしかないのですが、CR機普及のため、それに反対するメーカーやホールを見せしめとして、この件をわざと大きく取り扱ったという気がしてなりません。(当時、平和は、パッキーカード導入に反対していましたし、逮捕者が出たホールにCR機が導入されていなかったことも、この憶測を後押しします。)


3)その3(黒歴史の始まり:CR機)
 パチンコホールが行う脱税への対策との名のもとに、現金の代わりに使われるプリペイドカードが導入され、そのプリペイドカードの普及促進の為、当時激しく規制されていた連チャンをプリペイドカードを使用する機種に限って確率変動などの連荘を認めるという胸糞悪くなるようなダブルスタンダードの中から生まれてきたのが、プリペイドカード機(そうでないものは現金機と呼ばれます)、通称CR機です。
そのCR機も、導入当初は、全くと言って良いほど普及は進みませんでした。それもそのはずで、CR機以上の連チャン機が、その当時既にホールにあったからです。そして、CR機についてはホール側の反対だけでなく、実際に機種を開発するメーカーも否定的な見解を示していました。コストがかかるだけで、わざわざ導入するメリットがほとんどなかったからです。また、現金では無くCRユニットを導入することで金の流れの不明な部分を明確化しようとするのは一見非常に有効な手段のようにも取れますが、台の仕様を規制する"保通協"をはじめ、ユニットを製造する会社やカードを管理する会社が全て警察官や官僚の天下り先として設立されていたのは、メーカーやホール側にとっては周知の事実であり、このような利権のために、なくてもよい物を無理矢理付け足して、その負担だけはホールやメーカーにだけ押し付けるやり方は、反発を受けて当然のものでした。
しかし、そこに"ダービー物語"事件が起きて、連チャン機がホールから撤去されることになってしまい、この先どうなることかと思っていたところに登場してきたのがその後空前の大ヒット機となる西陣の"CR花満開"でした。

この"CR花満開"の連チャンは強烈の一言です。初めて"CR花満開"の連チャンを見たときは、台が壊れているのかと思った程です。
今までの台は、連チャンしたといってもせいぜい3連から5連、多くても8連程度だったものが、特定絵柄(3と7)で当たると、最低3連、普通は5連以上、10連は珍しくなく20連行ってもおかしくないというすさまじいものでした。それに加えて、液晶のリーチアクションもまた見事なものでした。絵柄は数字だけの至ってシンプルなものなのですが、スーパーリーチの花吹雪リーチアクションは実に美しく、この花吹雪リーチが3と7でかかった時はリーチの美しさと相まって、本当に心臓がバクバクしたものです。
CR花満開-2  花吹雪リーチ_small
    CR花満開       花吹雪リーチ!

この爆裂ぶりで"CR花満開"は大ヒットしました。自分もとにかくよく打ちましたね。その後の西陣"CR球界王",平和の"CR黄門ちゃま2"などとヒットが続き、CR機全盛の時代が到来します。
CR球界王EX  CR黄門ちゃま2
   CR球界王EX       CR黄門ちゃま2

しかし、この頃から明らかにパチンコの遊び方が変わってしまいました。
CR機導入前までは、運良く連チャンすれば儲け物程度の考えで遊んでいたものが、5万勝つか負けるかの博打のようなものになってしまったのです。もともと、連荘性が高いということは大当たり確率が低く設定されていることを意味し、本来負ける確率が高いものなのです、しかし、どんなに負けても一発逆転の大連チャンを引き起こせば勝てるとい気持ちを引き起こさせる高い博打性は、日本中に中毒者を続出させ、社会問題にもなってしまいました。

この頃から、自分は、負けた金額の大きさもそうなのですが(とにかくCR機では、トータルでとんでもなく負け越していることは間違いありません)、プレイ時間が長くなることで一日中、ホールにいるのが嫌になり、パチンコから離れていきました。

4)その4(スロット)
パチンコをあまりしなくなった自分は、その当時勤めていた会社の同僚に教えられて、スロットで遊び始めました。
その当時は3号機と呼ばれる仕様のもので、1,2号機に比べれば波も穏やかなものと言われていました。そのような3号機の中で自分は、山佐"スーパープラネット(通称スープラ)",ユニバーサル"コンチネンタルⅡ(通称コンチⅡ)",瑞穂製作所"コンチネンタルⅢ(通称コンチⅢ)をよくやっていました。スープラはリーチ目が多彩、コンチⅢはセブンラッシュが面白く、よくできた台だと思いました。
 スープラ   コンチⅡ   コンチⅢ
スーパープラネット コンチネンタルⅡ コンチネンタルⅢ 

しかし、3号機は波が穏やかな分、面白くない(つまり大勝ちできない)とも言われ、その要求に応えるように裏モノが増えて行きました。裏モノとは、制御ソフトの違法書き換え(通称、注射)や制御基板のROMの入れ替え(裏ROM)や基板そのものの入れ替えで不正に動くスロットのことであり、とんでもない連チャンと大ハマリを引き起こしました。でも、スロットを打っている客側も、自分が打っているのが裏モノだと知っているというより、客側が裏モノのスロットを望み、それに答えて店側が裏モノを導入したというケースがほとんどだと思います。CR機で連チャンの感覚を知ってしまった自分もまた、裏モノを待っていたのかもしれません。自分は徐々に裏スロットにのめり込んで行きました。
よく打った裏スロットは、ニイガタ電子"リノ"、日活興業"スペースバトル"などでした。実は"リノ"には有名な"ポロリンセット打法"と呼ばれる攻略法(手順的にはクレジットにコインが入った状態で、精算ボタンを押しながらレバーを叩くだけと言う、極めて簡単で単純なセット打法で、タイミングが合えばポロリンと言う音がして1枚払い出され、ラインランプも1枚掛け状態になります。 後は目押しで7を揃えるだけ(1枚ラインでなくてもOK)です。)があるのですが、その店の"リノ"では全く通用しなかったので、おそらく裏モノゆえに制御が変わっていたのかもしれません。その店には非常にマニアックな裏モノ"スペースバトル"も入っていましたが、個人的にはこちらのほうが好きでした。もちろん、勝ち負けのトータルでは、大幅な負け越しでしたが...。
 リノ-2   スペースバトル-2
    リノ       スペースバトル

その後、余りにも裏モノが増えすぎたのか、仕様が4号機に移行しました。
この4号機で、ボーナス中の打ち方によっては、かなり多くのコイン枚数を得ることができるようになったのが理由なのか、裏モノが大分少なくなったと思います。

自分は、4号機では、アルゼの"大花火"をよくやりましたね。特に、ボーナス中のリプレイ外しでコイン枚数を増やす打法は、失敗するパンクしてしまうこともありましたので、ドキドキものでした。

しかし、ある店の新装開店で並んでいた自分は、大花火の席取りに失敗して、仕方なしにある台に座ったのですが、その台が新たなハマリの道を歩ませる結果となってしまうのでした。
 大花火   キングキャッスル
   大花火     キングキャッスル

5)その5(裏モノ沖スロ)
 その台は、パイオニアの沖スロ"キングキャッスル"という台でしたが、初めてやった沖スロはなんともシンプルな仕様で、レバーを叩いて大当たりを引けば、台上部のハイビスカスが点滅するだけという、"大花火"に比べて何も工夫の無い演出に、最初はすごい物足りなさを感じたのですが、これがびっくりするくらい連チャンするのです。今考えればもちろん裏モノだったわけですが、4号機になってしばらく味わっていなかった連チャンにいたく感激しました。そして、その連チャン性もさることながら、レバーを叩いた瞬間ライトが点滅するだけという丁半博打のようなシンプルな大当たり演出が、何だかだんだん快感になってきたのです。実際、この裏沖スロのシマは、学生など一人もおらず、おっちゃんおばちゃんだけが万券握り締めて博打をやっている鉄火場に似た雰囲気がありました。

この後、大宮の方に爆裂沖スロが設置されていることを知り、そこへ通い詰めるようになってから、自分の沖スロ好きは決定的になりました。とにかく、この大宮のスロット店の沖スロはすごかったですね。設置台は、エイベックスの"海人"、パイオニアの"HANAHANA","シオサイ"でしたが、万枚以上出た台の後ろには、千両箱と書かれた巨大な箱が置かれ、その中に30φコインが山盛りに入れられていました。聞いてみると、出る台は1日70回以上大当たりし、それが毎日のように起きているとのこと。その大当たり回数にも驚きましたが、何よりも強烈だったのはその店の雰囲気でした。大音量の音楽と、あちらこちらからひっきりなしに起きる大当たりの告知音、そこに鉄火場が持っている熱気が渦を巻いて頭がクラクラしそうでした。この文字通りのお祭り騒ぎに自分が一発で参ってしまったのは言うまでもありません。
 海人   ハナハナ   シオサイ
    海人       ハナハナ      シオサイ

打ってみてわかったのですが、この裏沖スロは、"32Gバージョン"と呼ばれているもので、大当たり終了後、連荘する場合は32G以内に次のボーナスを引くというものでした。攻略法は無かったと思います。何しろ裏モノなのですから何でもアリで、とんでもない連チャンと大ハマリがあり、それは誰にも予想がつかないくらいの荒れっぷりでした。

自分はこの店に通うために、金曜日会社が終わったあと、大宮にある健康ランドに2泊して土曜と日曜日には、朝早くからその店の前に並ぶという、甘くも爛れた生活を送るようになっていました。その頃自分は、離婚もし(実はバツイチです)、会社も転職して知り合いも少ないという、自分を縛るものが全く無い状況でしたので、ひたすら、この裏沖スロにのめり込んで行きました。
こんな店に通いつめれば、とんでもなく負けてしまうのは明らかで、もちろん何度も途中で止めようと思い店に行くのを我慢することもありましたが、結局我慢できずに、家を飛び出して、車で赤信号などぶっちぎって開店前に駆けつけるなど、この時の自分はもう病気というか狂っていたのだと思います。

こんなことが2年近く続いたある日、スロットを辞める日が唐突に訪れることになりました。
その月は、2回ほど数万勝った後、20万、32万とたて続けに勝つことが出来たのです。特に32万というのは今までの1日の最高の勝ち額でした。
しかしその後、3回連続で1日10万以上負けてしまい、60万近く勝っていたお金があっという間に20万円切ってしまったのです。こんなジェットコースターがたった1ヶ月位の間に起きたことなのです。この時、もうこれはサラリーマンの遊びではないなと思いました。(もっと早く気づけよ...)

その後、憑き物が落ちたように、スロット通いを止めましたが、いつ病気が再燃するとも限りません。そこで、”何か、物を身に付けてそれに誓いを立てるようなことは出来ないだろうか。男なので、まさか指輪は無いよなぁ”などと考えているところで思いついたのが時計だったのです。

最後に:
長々と自分のギャンブル歴を書いてしまいました。これは自分の黒歴史の部分ですので、書こうかどうか迷っていたのですが、kこのことをどこかに記録しておきたいと思う気持ちが勝り、時計の話に押し込める形で書いてみました。

自分の場合、結局トータルでとんでもない負け越しをしてしまいました。(4桁万円には行ってはいないと思いますが、その近くまで負けているのは間違いありません。)でも、不思議と負けた金額について惜しいという気持ちは起きていません。しかし、とんでもなく時間を無駄に過ごしてしまったたという気持ちは、確実に持っています。

ですので、現在の自分はパチンコ・スロットなどは全面禁止にしてしまう方が良いとまでも思っているのですが、それが難しいと言うならば、せめて法律でパチンコをギャンブルであると明確化して欲しいと思うのです。

現在、パチンコの最大の問題点は、れっきとしたギャンブルなのにそう扱われていないところだと思います。やっていることは金を賭ける賭博以外の何者でもないのに、あの「3店方式」とやらで換金ではなく買取と詭弁し、パチンコ以外の業界がやれば賭博法違反で捕まってしまうような代物をパチンコ業界だけが許されているというこの曖昧さは、それにお目こぼしを与えている側にとっては美味しい利権なのでしょうね。しかし、自分が一番問題にしたいのは、この利権を守るために賭博を遊戯と偽って、パチンコCMをテレビで流し、住宅地でホールが堂々と営業していることです。先進国の中で、ギャンブル場が住宅地で営業しているのは日本だけでしょう。他国に比べて極端にギャンブルの敷居を低くしているこの現実は絶対に良いもののはずがありません。禁止するには、既にそれに従事する人が多すぎるというならば、せめて、賭博と認定して、住宅地からホールを隔離して欲しいのです。

しかし、この認可する側と取り締まる側が同じという、あまりに明快な癒着に関わらず長年放置されてきた現実を見ると、もはや自浄作用などいうものは期待できず、政治的な力をで改革するしか無いように見えます。
ここで、少し期待できるかも知れないと思うのが、7年後の東京オリンピックです。

このオリンピックの際に、カジノ合法化論のようなものが、また持ち上がってきているようなのです。
もし、カジノが合法化されるならば、その中にパチンコが取り込まれる可能性はかなりあるかもしれません。そういう理由で、自分は、カジノ合法化に賛成する立場です。

もう一つ最後に、あの有名なパチンコと半島人の関わりについて、ちょっと書いてみたいと思います。
パチンコをやっている人にとってかなり有名なのが、ホール経営者のほとんどが半島出身者であるという話です。実は、自分は、この話が有名にも関わらず、ソースを見たことがないので、はっきりとした真偽はわかりません(それでも、まぁ、事実でしょうね)。しかし、いかに、半島出身の経営者が多いとしても、そもそも、現在の利権の構造は日本人が作り上げたものであり、パチンコのダーティーな部分をを半島人のせいにしてしまうのは筋が違うことなのかもしれません。

しかし、以下の様な記事を読むと、どうにも腹が立ってしまいます。

************************************************************
李次期大統領が小沢代表と会談 パチンコ振興や参政権付与など要請

2008/02/21 (韓国メディア 総合ニュース)
【ソウル21日聯合】李明博(イ・ミョンバク)次期大統領が21日、訪韓中の日本・民主党の小沢一郎代表ら一行と会談した。
 李次期大統領は、在日本大韓民国民団の代表らが自身の次期大統領当選を祝うために韓国を訪問した際、「小沢代表に会ったら、地方参政権を韓国人にも付与してほしいとお願いしてほしい」と頼まれたと紹介した。日本に居住する韓国人らが日本の地方選挙に参加できればその地域に関心を持つようになり、日本社会においても一助となるはずとの考えを示した。 パチンコ産業の規制が変わり、事業を行っている在日同胞らが苦境にあると聞いたことにも言及し、関心を持ってほしいと申し入れた。 (中略)
これに対し小沢代表は、(中略) パチンコ産業については、帰国次第、民団側の話を聞いてみたいとした。
************************************************************

韓国は、自国民の為に良くないとの理由で、その時既に韓国国内で大きな産業となっていたパチンコを、強力な政治力で廃止しました。しかし、その一方で、日本には"事業を行っている在日同胞ら"を助けて欲しいと頼んでくる半島人の厚かましさには、心底吐き気を催します。また、それに応じようとする腐った日本の政治家にも本当にがっかりさせられます。

しかし、最悪だった3年半の民主党政権が終わり、現在の安倍現総理が率いる自民党は、半島人と毅然と渡り合っていて非常に頼もしいですね。出来れば、この安倍政権の間にカジノ法が成立され、パチンコの闇が消しさられることあれば、本当に言うことはありません。


2.本編(時計の話)
1)初代腕時計 OMEGA スピードマスター プロフェッショナル Ref.357050.00
 長い前段の話が終わり(本当に長すぎる)、やっと時計の話です。

 スロットを止めることを誓う身に付けられる証として時計を買おうと思った訳ですが、実は、今まで殆ど腕時計をしたことがなく(時刻確認は携帯電話で行っていたくらいだったので)、時計の価格などというものは全くわかっていませんでした。なので、手元の現金20万近くがあれば、超高級時計が買えるものだとばかりと思っていた自分は、時計雑誌で時計の価格を見てたまげました。20万では、世界の名だたるブランド時計の殆どに手が出ず入門機しか買えないということが分かったからです。しかし、めげてもいられないので20万で買える一番良い時計として、スピードマスター プロフェッショナルに決定しました。
スピマスは今でこそ平行ものでも20万以上しますが、自分の買ったときは16万ほどでした。スピマスはちょっと高くなり過ぎましたね。

さて、今まで長々と購入に至った経緯を書いてきましたが、では実際に腕に時計を巻いてみた感じはどうかというとこれがなかなか良かったのです。ずっしりとした重さに、細部の仕上げの高級感、そして、そこそこの価格の物を身につけていることを意識するという初めての感覚。これがブランド物の力だなどと言うとアホ丸出しなのですが、この時計を身につけることで気持ちがしっかりして、再びパチンコ・スロットをやろうという気持ちを封印できたことは、自分にとっては確かなことなのです。

スピマス購入後は、それこそどこでもこの時計を身につけていました。時計購入時に店員さんから言われた「この時計は実用時計なのでどんどん使うことがこの時計に一番あった使い方です。」という言葉を真に受けて(店員さんの言うことはもっともなのですが、程度によります)、現場作業時にも身につけて作業をしていましたし(馬鹿)、実験で時間測定が必要な際は、ストップウォッチをビシバシ使っていました(本当に馬鹿)。その甲斐があって?、購入後4年経った頃には、ストップウォッチが動かなくなってしまい(時計機能は動いていました。)、修理に出そうとしたところ、修理&オーバーホールに6万かかると言われてしまい、悩んだ末に売り払って別の時計を購入することにしたのでした。

2)自分が現在持っている時計について
 時計の魅力についての感じ方は人それぞれです
特に機械式時計については、ある人は、その時計が持っている耐防水性や耐磁性、そしてムーブメントの性能を詳しく説明出来るでしょうし、ある人は、その時計の製作に傾けられた職人の情熱やその時計が持っている歴史を熱く語れると思います。時計好きな自分としては、その時計について語られること全てに同意しますが、熱心に語るほど熱くなれない原因は、結局機械式時計はどんなに高価で高精度のムーブメントを搭載しても数千円のクォーツの精度に勝つことができないという事実があるからです。一般的な時計の最大の存在意味は時間を正確に知らせることですが、その一番大事な部分で、もはや逆立ちしても機械式時計がクォーツに追いつくことは技術的に不可能なのです。では、機械式時計に存在意義が無いかというと、もちろん自分にとってそんなことは全く無く、結局、時間を知らせるという機能は二の次のことで、自分にとっての時計の最大の魅力は、手作業で作られる量産品の中では最高峰の精密さとカッコよさを持った工芸品のような存在であることの一点に尽きます。一時は日本製のクォーツに押されて絶滅寸前まで追い込まれた機械式時計がここまで盛り返して来たのは、結局のところその点にあるのでは無いでしょうか。

以下は現在自分が所有している時計です。
・ROLEX サブマリーナ デイト Ref.16610
スピードマスターを売って、その代わりに購入したのは、実はこの時計です。
一般に、ROLEXは高額な時計と言われていますが、時計が好きになって色々な知識が増えてくると、実はROLEXは高価というよりも、その性能に比べて安価というか適正な価格で販売されているのではないかと思うようになるはずです。どのくらいの工数でどのくらいの原価で製造されているのかわからないので適正価格かどうかはもちろんわからないのですが、他のブランド時計ではETA社製の標準ムーブメントを入れているだけなのに(いわゆるETAポンと言われるヤツです)、ROREXより高価な時計も実は結構あります。もちろん、独自ムーブメントでなければならない理由は全くなく、逆に、標準ムーブメントを使った方が独自ムーブメントを使うより高精度のムーブメントを安定して供給できるという大きなメリットがあるくらいです。しかし、独自ムーブメントを使うことは、その会社のプライドを示すものであり、サブマリーナに搭載されているROLEX社の独自ムーブメントCal.3135は、その堅牢性、耐久性、精度とも非常に高いレベルのスペックを備えていることが世界的にも認められている高性能のムーブメントであり、それを現在の価格で提供できることは結構すごいことなのです。(新型になってかなり値段が上がってしまったのが残念です。進化したのは確かなのですが。)

・IWC パイロットウォッチ mark16 Ref.IW325504
 mark16のムーブメントは、IWC Cal.30110搭載ということになっていますが、実際のところはETA社の定番ムーブメントETA2892-A2に手を入れたものを使用しているようです。これが悪いことではありませんが、性能で言えばROLEXなどには明らかに劣ります。また性能の割には高額であることも今ひとつのところです。では、何故自分がこの時計を手に入れたかというと、見た目がとにかく気に入ったという点に尽きます。高級感はありませんが視認性に富んだ文字と針、控えめな日付表示、日にかざすと微かに青みを帯びていることがわかる文字盤など全てがカッコよく見える自分にとっては最高の3針時計です。

・EPOS 3390SKRWHM
 EPOS社のスケルトン時計。実は、この時計は購入当初はメタルブレス仕様のものだったのですが、どうもそのブレスがあまりにもキラキラ輝き過ぎて、ちゃちく見えてしまったので、茶色の革バンドへ自分で付け替えました。
すみれ色の針と、同色の立体的な文字がおしゃれで結構気に入っています。EPOS社はブランドバリューとしてはいまいちですが、精度の高いムーブメントが入った時計を適正な価格で販売するとても良心的なブランドです。この時計のムーブメントもETA社の定番Cal.ETA2892-A2を使用しており、精度の上でも他のブランド機種に劣るようなものではありません。
サブマリーナデイト_small2マーク16_small2
 ROLEX サブマリーナ デイト Ref.16610      IWC mark16 Ref.IW325504
エポス_small2
     EPOS 3390SKRWHM

機械式時計の他にも以下の時計を所有しています。
・カシオ オシアナス マンタ OCW-S1250TC-1AJF
 マンタの2009年特別仕様限定モデル。マンタといえば文字盤が青であることが定番ですが、これは黒で非常にシックな感じがします。多角形デザインを用いたベゼルのリングにはブラックセラミックが使われ、シャープな形状とあいまって非常に綺麗で、自分の大のお気に入りです。もう生産中止となってしまっているので大事に使っていきたいと思っています。
カシオの時計といえば、G-SHOKばかりが有名でしたが、このマンタの発売で、ブランドイメージが完全に変わりましたね。

・カシオ MTG-1000G-9AJF
 2007年発売のカシオの電波時計。
最新のMTGは液晶を使っていますが、この機種は液晶を使わずアナログ時計っぽく見えるところが気に入っています。
時計の保護に用いられているウレタンによって、現場で何度も色々なところにぶつけても壊れないタフガイぶりを発揮していますが、このウレタンがデザイン上のアクセントになっているところもお気に入りの点です。
これも生産中止になっているので、大事に使っていきたいと思っています。
オシアナス_small2MTG_small2.jpg
オシアナス マンタ OCW-S1250TC-1AJF      MTG-1000G-9AJF 

時計は、現在5本も持っているので、本数的にはもう必要がないのですが、この頃、既に手放してしまったスピマスがやたらと懐かしく感じています。出来れば、最後にもう一度スピマス(今度は裏スケ!)を買ってみたいなぁなどと思っているのですが...。


時計特別編
・ダイバージェンス・メーター...ではなくてロシア製ニキシー管を使ったニキシー管時計。
 もちろん、Steins;Gateの影響を受けて(馬鹿ですね)、ネットで見かけた際に購入してしまったものです。
ニキシー管が放つ明かりは非常に温かみがあり、風情があってとてもいい感じです。ただ、ロシア製ニキシー管は既に製造停止でデッドストックのものを購入して使用しているとネットで読んだことがあり、ニキシー管が壊れてしまった場合、交換品があるのかどうかが少し心配です。
ニキシー管時計_small

・蛍光管モジュラー時計
 実は写真は完成予定のもので、実物はまだ箱の中です。早く組み立てないといかんなぁ...
蛍光管モジュラー時計-2_small2蛍光管時計箱_small3

車の話

バイクの話の中でも書きましたが、自分は乗り物を運転することが大好きです。
しかし、やはり車の使い方は実用的なものなので、バイクほど思い入れのある車はないのかもしれません。

以下は、自分が今まで乗ってきた車の紹介です。

1)トヨタ AE86トレノ GT APEX
[4A-GEU型:1.587L 直4 130ps/6600rpm・15.2kgfm/5200rpm・5MT]

AE86トレノ_縮小今から30年以上前、妹が結婚することになった時、彼女の車であるAE86トレノを譲り受けるというか購入することになりました。
しかし当時自分の関心はバイクにあったので、購入後もあまり車に乗りませんでした。

この車がイニシャルDで有名な車であることを知ったのは、手放した後のことです。中古だから仕方のないことですが、とにかくこの車は、ギアに入らないわ、エンストするわで、あまりの不便さに早々に手離さざろうえませんでした。しかし、これは中古品の程度によるものだと思うので、この車の正当な評価ではありません。

2)スバル レガシィツーリングワゴン ブライトン220エアサス FULL4WD(E-BF7)
[EJ22型: 2212(cc) 水平方向4気筒SOHC 135ps/5500rpm・19kg・m/4000rpm E-4AT(7ポジション電子制御4速フルオートマチック)]レガシィ220ブライトン_縮小
AE86トレノの後の2代目の車として中古で入手しました。この車を選んだ理由は、荷物が入ること、当時スキーもやっていたので雪道を走れる4駆であること、そして何よりもbodyがroofに向かって台形に絞られたそのスタイリッシュさよるものでした。当時バブルの真っ最中でありましたが、トヨタ、日産が似たようなスタイルばかりの車を出しているのに対し、その当時のレガシィのデザインは、オーソドックスの中にも端正な美しさがあり、なかなか光って見えました。

ただ、当時スバルは非常にマイナーなメーカーで、カーオーディオやナビを取り付けるにも、大きさやからコネクタの種類まで、カーオーディオのメーカーが対応しておらず、取り付けには本当に苦労しました。当時は、これらの取り付けを全て自分で行っていたので尚更でした。このようなことは、今のスバルでは起こらないでしょうね。

もう一つこの車に乗って驚いたことは燃費の悪さです。今でもスバルの水平対向エンジンはあまり燃費のいいものとは言えないと思いますが、この車の燃費の悪さは当時のレベルでも群を抜いていたと思います。何しろ平地でリッター6km走らないこともあったくらいです。前車がマニュアルの1.6Lでものすごく燃費がよかったから比べてしまうということもあるのですが、とにかく燃費が悪かったという印象が残っています。でも、それ以外は大きな欠点もなく、自分はこの車を非常に気に入っていました。3代目に同じレガシィを選んだのも、レガシィが持つ基本性能の高さと雰囲気を気に入っていたからにほかなりません。

でも、この車に乗っているときは自分にとって波乱に富んだ時期であり、結婚から離婚、そして転職と結構いろいろなことがあったなぁと、この文章を書きながら思い出しています。結局、この車は、自分が九州へ出向中に、オカマを掘られ生涯を閉じることになるのでした。(合掌)

3)スバル レガシィツーリングワゴン GT-B E-tune FULL4WD(GF-BH5)
[EJ20:1994cc 水平対向4気筒DOHC16バルブツインターボ・260ps/6000rpm・32.5kg・m/5000rpm・スポーツシフトE-4AT(7ポジション電子制御オートマチック)]

レガシィGT-B_縮小2代目の車が九州で廃車となってしまったので、九州でその後継車として、レガシィGT-Bを初めて新車で購入し、そのまま関東へ戻ってきました。

この車の加速は、260PSもあったので、とにかくすごかったですね。このエンジンは、プライマリーとセカンダリーファンを持つツインターボエンジンでしたが、ターボの段付きは全く解消されておらず、4000rpmあたりでプライマリーからセカンダリーファンに切り替わったあとのターボ加速は強烈でした。このフィーリングは、いわゆる昔のドッカン・ターボそのものでしたが、それはそれで面白いエンジンフィールでした。(しかし、セカンダリーファンが回ったあとの燃費は悲惨の一言でした...)
外見の方はといえば、まぁ、あまり格好良くはありませんでした。格好良さで言えば、モデルチェンジ前のE-BG5型、もしくは次のモデルのTA-BP5型の方が格段に良かったと思います。でも、基本性能には概ね満足していました。

しかし、実生活の方は相変わらず波乱に富んでおり、この車に乗っている期間中にもう一度転職を経験し、現在の会社で仕事で移動中に、ラジエーターが故障し、ボンネットから大量の水蒸気を噴出しながら息絶えるという壮絶な最後を遂げたのでした...

4)三菱 ランサー GSRエボリューションX FULL4WD(CBA-CZ4A)
 [4B11 MIVECインタークーラーターボ:1998cc 300ps/6500rpm・43.0kg・m/3500rpm・6速ツインクラッチSST]

ランエボX_縮小前車のレガシィが廃車になってしまったので、次の車もレガシィと思っていたのですが、ちょうどその時、インプレッサSTI A-lineがレガシィGTと同じくらいの価格で発売開始されました。このSTI A-lineは、う2.5Lのエンジンを積んでおり、エンジンに関してはMT仕様のSTIとまるで違うものなのですが、個人的には、なかなかうまいものをスバルは作ったなというのが自分の感想でした。しかし、スバルもそのへんのことを良くわかっているようで、とにかく値引きは全くありませんでしたね。そんな折に、会社の同僚から三菱のディーラーを紹介されてそのディーラーを訪ねたところ、ランエボの値引きが非常に大きいということがわかりましたので、交渉を開始し、結局ランエボXを購入することになりました。

自分にとってこのランエボXの魅力はSSTに尽きます。このSSTがあるこそ、テクニックの有無に関わらず300psのエンジンパワーを自在に引き出すことができます。このSSTがなかったら自分はランエボXを買うことはなかったでしょう。

個人的には大満足のランエボXなのですが、売上は全く芳しくないようです。以前は、インプレッサSTIと熾烈なレースを繰り広げ、カー雑誌には、よく特集がか組まれていたことを考えますと、隔絶の感があります。
今考えるとランエボVでWRCを制した頃が三菱自動車の絶頂だったかもしれません。このランエボVは、なんとしてもレースに勝つという三菱技術陣の志の高さが結実した本当の名車でした。しかしその後の不祥事と、ダイムラーとの提携解消で、三菱自動車の商品開発力は確実に衰えてしまいました。結局、現在のランエボXはランサーを名乗っていますが、既にランサーという車種は無く、現在のギャランをベースにしています。また、このギャランも実はランサーと以前のギャランの中間くらいまで車体を小さくしたもので、ランエボにとって、以前のギャランほど大きくはありませんが、それでも小さな車体に大出力のエンジンを搭載するというランエボの基本理念から、ランエボXは既に逸脱してしまい、レースをするには向かない車体になってしまっていました。(車体が高額になり過ぎたことが、一番切実な問題かもしれませんが...)

今後、今のままでは、残念ながらランエボXは生産中止となってしまうのでしょうね。でもSSTの技術だけは、なんとか残してもらいたいと切実に考えています。

このランエボXは、できれば引退するまで乗り続けたいと考えているのですが、それは難しいでしょうね。次に、車に乗るときは新しい技術が出てきているのでしょうか。

バイクの話

自分は、基本的に乗り物はなんでも好きなのですが、特に初めてバイクに乗ったときには、これで自分は自分の行きたいところへどこにでも好きな時に行けるという開放感を感じて、そのことにものすごく感動したことをよく覚えています。それ以降、車へ乗り換えるまで4台のバイクに乗りましたので、それを紹介してみたいと思います。

1)SUZUKI GSX250E KATANA
 [空冷DOHC4バルブ並列2気筒249cc・29ps/10000rpm・2.2kg-m/8000rpm・157.3kg]

GSX250E_縮小大学の先輩から2万円で買った初めての自分のバイクです。
通称250ゴキ。タンクにまたがった時、タンク形状がゴキブリの背中に見えたところからゴキなのだそうです。
でも自分は、このスタイルは、非常にバイクらしくて好きでした。
しかしスタイルはともかく、157Kgの重量に対しての29psはいかにも非力であり、加速性能は当時の車よりも低かったかもしれません。そもそも80km/hを超えると、車体にとんでもない振動が起き、その振動でバックミラーに何が写っているのか見えなくなってしまうという、とんでもない性能の持ち主でした。

そんなバイクでも、手に入れた当時は本当に嬉しくて、これでどこへでも行きました。最終的には、憧れだった北海道にテントを持ってツーリングにも行きもしました。お金が無かったということもありましたが、なんと下道の4号線を使って東京から北海道へのツーリングです(当然帰りも)。今では考えられない体力まかせのツーリングでした。
当時の北海道は、地図上の大きなメイン道路も舗装されていないような状態のど田舎で、今では有名になったニセコの温泉などは、山の中腹に囲い無しの湯船がるだけで、下の脱衣所で衣服を脱いだあとは、前を隠しながらそこまで登っていくというワイルドなものでした。でも楽しかったなぁ。

このような思い出の詰まったバイクも、悲惨な末路を辿ってしまいます。
昔風のゴツイ外見を持っていたGSX250Eは、暴走族の嗜好とも合っており、その彼らに目を付けられてたあげく盗まれてしまったのです。GSX250Eは、古いバイクなのでセキュリティーは超甘く、ハンドルロックは簡単に壊されてしまったのです。後日、近所の畑の中で、マフラーを直管にされタンクを下品に金ピカに塗られた我愛車は、大破したあげく泥だらけになって発見されました。事故った上に放置とは、つくづくライダーの風上にも置けない奴らです。結局、このような状態では、廃車処分にせざろう得ませんでした。

2)KAWASAKI GPZ-400R
[水冷4ストDOHC4バルブ並列4気筒398cc・59PS/12000rpm・3.6kg-m/10500rpm・181kg]

GPZ400R_縮小GSX250Eの後の2代目バイク。当時の最新式バイクで、形の良さもさる事ながら、その圧倒的なパワーに本当に驚きました。何しろ、今まで、前の車の追い越しの際にフルスロットルでさえ少し時間がかかったのに、アクセルの一回ひねりでロケット加速で追い抜いていってしまうのですから。あまりの楽しさに、真冬というのに(冬のボーナスで買った為)、紀伊半島一周の旅に出かけていき、紀伊山脈の真ん中で雪に降られて死ぬ思いをしたこともありました。今考えると本当に無謀でしたね。

しかし、この圧倒的なパワーを誇る当時最新のバイクには、欠陥?とも言える一つの癖がありました。それは、フロント16”ホイールが持つ軽快感と引換えの不安定さで、下りの緩いカーブでちょっとブレーキをかけただけでフロントからコケてしまった自分は、その後なんと3ヶ月も入院する羽目になってしまうのでした。
退院後、バイクを直しはしたのですが、フレームが若干歪んでしまったからなのか、どうも走っていても違和感が残り、結局バイクを手放すことになってしまいました。

3)KAWASAKI KDX125SR
[2ストローク・水冷単気筒・クランクケースリードバルブ・22PS/9500rpm・1.9Kg-m/9000rpm・104Kg]

KDX125SR_縮小実は、自分はGPZ400Rと共に、KDX125SRも所有していたことがあります。その頃会社に一緒に勤めていた友人から、バイクに乗るのに上手くなるためには、オフロードに乗ったほうがいいとの助言を真に受けて?購入したものですが、これが乗っていて実に楽しいバイクでした。
当時、公道モトクロッサーというのがKDX125SRのキャッチフレーズで、レース仕様のモトクロッサーに保安部品を付けて売り出したようなバイクだったので、軽い車体に強烈な加速で、加速の際は体がのけぞるような感覚を味わったものです。
唯一の欠点は、モトクロッサー譲りのガソリンタンクの小ささで、一度みんなでツーリングへ行った際に、山の中でガス欠になってしまい、リザーブへ切り替えた後は、殆どエンジンを回さじにノークラッチで麓まで降りてくる羽目に陥ったこともありました。色々楽しい思い出のあったバイクでしたが、最終的に、GPZ400Rと一緒に手放してしまいました。

4)SUZUKI DR250R
[油冷4ストDOHC4バルブ単気筒・31PS/8500rpm・2.8g-m/7000rpm・111kg]

DR250_縮小GPZ400RとKDX125SRを売った後、代わりに購入したのが4代目のバイクDR250Rです。250ccのオフロードにした理由は、まず400ccバイクより維持費が安い(車検が要らない)ことと、車体が軽いこと(KDX125SRに乗って軽い車体の便利さに目からウロコ)、そして250ccなら高速道路に乗れること等色々です。そして、この機種を選んだ最大のポイントは、最初から車高の高いタイプと低いタイプの2種類を販売していたことです。普通、オフロードの車高下げキットはリヤタイヤのみの高さを落とすので、フロント高さとのバランスが崩れてしまうのですが、DR250Rの低車高タイプはフロント・リア共に車高が下がっているので、安心して乗ることができます。これで信号待ちバレリーナともおさらばだ!というわけで、完璧な乗り換えと思ったDR250Rの選定だったのですが、どうにも不満な点が1点ありました。それはエンジンで、なんともレスポンスの低い耕運機エンジンのように感じられてしまったことです。でも、それもまぁ、今まで強烈なエンジンのバイクに乗っていたので仕方がないことかなと思うようにしていました。(しかし、最近になって、実はメーカーはわざとエンジンの出力を下げており、ある方法を取ると全く違うエンジンになってしまうことが分かりました。その当時わからなかったことが非常に残念です。)

そういう不満はあったものの、このバイクを使ってやはり、色々なところへ行きましたね。最終的には、再度このバイクでテントを担いで北海道ツーリングへも行きました。最初の北海道ツーリングから10年後のことで、流石に今度は下道でということはせず、フェリーに乗って体力を温存して、北海道上陸後のツーリングで北海道を満喫しました。道東の羅臼では、今は入山禁止となってしまったカムイワッカ湯の滝の上流まで上り、滝壺の温泉へも入ったりしました。10年経ったとはいえ、この当時はまだライダーもたくさんいてツーリングしていても楽しかったですね。ツーリングでバイクとすれ違う際は、みんなピースサインで挨拶することが礼儀となっていましたが、近頃はライダーも少なくなってしまったので、これも廃れてしまったのかもしれません。(実は前年、車で北海道旅行をしたのですが、ライダーを殆ど見かけずちょっとしたショックを受けました。時代が変わったことを本当に痛感しました。)

自分に色々楽しみを与えてくれたバイクですが、転職を機に会社の友人へ売却してしまいました。現在では車しか運転していませんが、やはり楽しい思い出として残っているのはバイクの方ですね。事故を起こすのが怖くて、現在は乗れませんが、引退後もう一度バイクに乗ってみたいと思っています。今度はゆったりとしたアメリカンがいいかな?

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